すいせい

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このブログはデザイナー樋口賢太郎が綴る日々のことです
2018.07.07

身体性の書 2 カイエ・ソバージュ

おそらく誰にでも、手放すことができずに、いつもそばに置いておきたい本があるだろう。

読み込むうちに血肉化していわば自分の身体の一部になったとでも言うのか。
「身体性の書」ではそんな本たちについて語ってみたい。

第1回目はこちら


第2回目

カイエ・ソバージュ

中沢新一

『人類最古の哲学 1 』

『熊から王へ 2 』

『愛と経済のロゴス 3 』

『神の発明 4 』

『対称性人類学 5 』


この書物をちゃんと通して読んだのは、15年ほど前に一回だけで、あとはパラパラと眺める感じだったので
「身体性の書」というテーマで扱うには少し抵抗がある。

ただしかし受けた衝撃は甚大で、簡単に言えば見える世界が変わってしまい、
身体の組織なども変性してしまった感触がいまでも残っている。
そして直接的ではないが会社を辞めるきっかけになった本でもある。読後、組織に属して仕事をして行くことがどうしても難しくなった。

著者である中沢新一は『アースダイバー』のほうが有名であるが、やはり真骨頂といえばこの本だと思う。
日本の研究者はひとつの分野を掘り下げるタイプが多いので、中沢みたいに様々なジャンルをまたいで活動する学者はあまりいない。
宗教学、哲学、芸術学(多摩美でも教えていた)、文化人類学などの分野を軽々と横断することで見えて来る視点は、同時代の学者にはない魅力に溢れている。

全5巻になるシリーズは著者が中央大学で教えていたときの比較宗教学の講義をまとめたもので、
学生向けであり、語り口調でもあるのでとてもわかりやすい。

本書は対称であるべき関係性が崩れたことで世界で起こっているさまざまな問題の要因を
神話や古代の風習などを読み解くことで探っていく試みであり、最終的に対称性人類学という新しい領域へ到達するスリリングな道のりでもある。

ところどころ文化人類学者のレヴィ=ストロースの構造主義を受けた形となっており、いろんな角度からアクセスすることができると思うが、
印象に残った点に絞って話を進めて行こうと思う。

まずキーワードとなっている「対称」という言葉であるが、
簡単に言えば、対になるべき2つの要素がきちんとシンメトリーになっている状態のことである。

って言ってもなんのこっちゃという感じだろう。

例えば、現在、人と動物の関係は、人が動物に対して支配的になっている。
家畜やペットや動物実験が存在するのは、人間よりも下の立場として扱っているからであって
いまではそれが当たり前のように感じているかもしれないが、現生人類(ホモサピエンス)の歴史の中では対等な状態のほうが長く続いていた。
3万年くらいの長い間、動物は憧れの対象であり、けっして支配するという関係ではなかったのだ。
動物を食べてしまった後に残る骨や毛皮も丁寧に扱い、儀式を通じてきちんと自然へと返していたし、
神話の中でも人間と動物は同等の対照的な立場を保っていた。
つまりシンメトリーに重なり合うことができる交換可能な関係が「対称性の論理」の基本的な考え方になる。

宗教や神との関係性も同じで、ネイティブアメリカンやアボリジニーなどの調査からは、
スピリットという存在(多神教における神々のようなもの)を信仰していた段階では対称性は保たれていたが、
一神教の中から強力な力を持つ神が現れたことで、自然な心の動きや信仰心が失われてしまったことが読み取れる。
宗教が現在ではどちらかと言えばネガティブなこと結びついているのは、9.11や同時進行で起こっているテロの問題を見れば理解に難しくないだろう。

神のほうの力が強くなることでバランスを失い、本質的な信仰心から遠くなってしまったのだ。
スピリットがたまに変貌を遂げ、一神教の神と同じくらい力を持つグレートスピリットという大きな存在になることが、
ネイティブアメリカンの間では確認されているが、国家を持たない社会ではいちども唯一神になることはなかった。

また社会が持つ力が人間を超えないように、国へと発展しない工夫もされていた。
国家が誕生し、持つものと持たぬものが現れるとやがて貧富の差に結びつき、軋轢へと繋がっていく。
ひとところに力が集約してしまう存在が出現すると、権威や不平等に結びつき後戻りができなくなるのは国家も宗教も同じなのである。
そう予見していた古代の人々は、神話を語り、儀式を行うことで、対称性を保つ努力をしていたのだ。

この本を読んで痛切に認識を改めたのは、文明が発達していないと思っていた太古の昔の方が、
現代人よりも遥かに進んだ知恵を有していたということである。
あるいは現時代にアマゾンの奥地で暮らす人々を、非文明的で未発達だと決めつけてしまっていたが、
むしろそういった人々から見れば、近代化された都市で暮らす人々のほうが、よっぽど野蛮で非文化的だということである。
自分たちが優位な立場にいると思い込み、自然や動物に対して尊大で野蛮に振る舞うこともないからだ。

軽妙な語り口で進められていく、講義はけっして難しくなく、するすると頭の中に入っていく。

しかしその軽妙さとは裏腹に、中沢が連れて行く先はとても深く、後戻りができない。
そう、僕みたいに会社を辞めてしまうことを考えると、これはけっこう危険な書なのかもしれない。

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