すいせい

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このブログはデザイナー樋口賢太郎が綴る日々のことです
2020.08.28

プロ化する社会

世の中が向かっている方向のひとつに、「プロ化」という切り口があるのではないかと、前々から感じていた。

どの分野においても、アマチュアリズムというか、緩くて曖昧な領域がだんだんと淘汰されていき、
きちんとオーソライズされた専門的な物事のみが価値や力を持つ方向に進んでいるように感じている。

例えばたった数十年前まではイタリア料理といえばピザとかミートソースのスパゲティくらいなものだったが
いまや本場イタリアでも手に入りにくい生ハムを食べることができるようになったし、
パスタやチーズも幅広い選択肢から選べるようになった。
ペペロンチーノをつくる際にオリーブオイルを乳化させないと本物じゃないよねとか、
ベーコンやパンチェッタではなく、グアンチャーレを使わなければカルボナーラとは言えないといった風潮までできつつある。
おそらくインターネットがなければ、ここまで先鋭的にはなっていないだろう。

いまやウェブを検索すればプロの世界でしか知り得なかった情報へ簡単にアクセスできるようになり、
その気になれば専門家以上の知識を得ることも可能である。
専門的な情報は権威と結びつきやすいので、これのみが絶対に正しいんだという価値観が大手を振るようになっている。

先鋭化以前がプロ、セミプロ、アマチュアのカテゴリーだったとすると、
いまはアマチュアという層が段々と薄くなり、プロとセミプロだけという構図に変わりつつあるように思える。

世の中の総プロ化である。

この現象が進むと、人々が求めるものも当然変わっていく。
例えばちょっとコーヒーでも飲むかという場合でも、
いままではファミレスで良かったのが、その道の専門店でなければ満足しなくなる。
現在ファミレスが斜陽になっている代わりに、コーヒー専門店がファミレス化しているのは
この「プロ化」が理由のひとつではないかと思っている。

本格的、本物、専門的な領域があるに越したことはないが
社会がすべからくプロ的になってしまうことがいいことだとは断言できない。

なんというかプロはプロの面白さもあるが、難しさも抱えているからだ。
それはデザイナーとして活動していると痛感する。

大学時代の恩師である佐藤晃一先生が、定年で退職される会で述べられた挨拶が身に沁みている。

「グラフィックデザイナーとして50年近く活動してきましたが、ずっといち素人として仕事に取り組んできました」

録音していたわけでないので、曖昧な記憶であるが、上記のようなことを仰っていた。
長い間世界的に活躍されてきた佐藤さんの口から出る言葉としては、とても意外だったが趣旨は理解できた。

プロフェッショナルになることで物事に慣れてしまい、新鮮な驚きや感動を失ってしまう危うさがある。
素人のほうがよっぽど真実が見えていることもあるので、初心を忘れないように気を付けてきた。
説教臭くならないように自分のこととして話をされていたが、
みなさんも注意したほうがいいですよというメッセージでもあるのだろう。

プロ化することで世にもたらされる豊かさや面白さがあることはよくわかっているが、それは諸刃の刃だと思う。

権威主義や原理主義みたいなものが横行し、排他的な息苦しさが生まれる可能性もあるだろうし、
情報がたくさんあることで、上記のように逆に物事が見えなくなったり、感動できなくなることも考えられる。

いまのような風潮の時代にはアマチュアの領域を守るためにはどうすればいいのか、
考えることが大事なのではないかと思っている。

たぶん一番簡単な方法はウェブやSNSなどは見ずに、自分のペースで好きに楽しむこと。
インターネットができる前の状態に戻れば最低限自分の範囲は守れるだろう。

そしてアマチュア宣言をするのもいいかもしれない。
これは意識的に物事を知らないスタンスを楽しんでいることを伝えるための宣言である。

アマチュアはプロの対義語でもないし、劣っているわけではない。
何にも縛られずに自由に楽しむ権利はいまや全力で守らないといけないのかもしれない。

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投稿者:FBgSATnK 2020-09-18 05:03:11

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投稿者:LindaJes 2020-09-19 17:36:08

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投稿者:QescoajVI 2020-09-23 04:04:36

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投稿者:SusanSon 2020-09-27 06:00:47

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2020.07.31

身体性の書 3

おそらく誰にでも、手放すことができずにいつもそばに置いておきたい本があるだろう。

読み込むうちに血肉化していわば自分の身体の一部になったとでも言うのか。
「身体性の書」ではそんな本たちについて語ってみたい。

第1回はこちら

第2回はこちら

第3回目 蓜島庸二『町まちの文字』『祈りの文字』

この本をどこで手に入れたのか覚えていないが、独立して間もないころだったのは記憶している。

いわゆるモダニズムのデザインの教育を叩き込まれていた背景が自分にはあったが、
だんだんと民藝などの伝統的、地域的な文化にも心惹かれるようになり、
どっぷりと日本的な豊饒の海に浸りたいという気持ちを持つようになっていたころだと思う。

西洋的なデザインという意味ではグリッドシステムを理解していたので
アルファベットはコントロールできたが、日本語のフォントに関しては筆文字文化への知識の欠如があり
和文をきちんと扱えるかどうか不安があったのだ。

その背景にはデザインの環境がデジタルに移行してしまったことがある。
自分までがぎりぎり写植を触ったことがある世代で、現在ではデザインの作業は完全にモニターの中で行う。
明朝体などの活字文化を始祖とする流れはデジタルとの相性が良いが、
筆で書かれる文字をデジタルで表現しようとすると必ず齟齬が出て来てしまう。

例えばかすれや滲みをどう解釈すればいいのかという問題。
偶然に発生するアクシデンタルな現象により、
筆で書く際には同じ文字でもまったく同一に再現することは不可能である。
100回書いたら、100通りのかすれ、滲み、ハネが発生してしまう。

西洋のカリグラフィにもその傾向はあるが、より自由度が高い筆記用具である筆は変数が桁違いで、
デジタルに取り込むことはなかなか難しい。
カスレなどをスキャンして、偶然性を忠実に再現するフォントもあるが、
そこで表現されているのは書体設計というよりはリアリズムの転写であろう。
リアリズムはリアルにかなうわけはなく、結局は書家が書いたものにまで遡ってしまう。

筆文字のトメ、ハネ、鱗などの特徴を捉えて静的に表現するフォントや
寄席文字などの偶然性に依拠しない書体などはデジタル化できているが
筆文字の面白さの大事な要素である偶然性はいまだ含めることはできていない。

少し脱線したがとにかく現代に生きるデザイナーとして筆文字をどのように捉えればいいのか
その答えの一片を探して、この本を買い求めた。

『町まちの文字』は市井に生きる人々が自由に書いた文字、
『祈りの文字』は神社仏閣に関わる文字で構成されている。

どちらとも同時代的(昭和中期)に撮影したものに加えて、
著者がコレクションする紙物や古道具なども掲載されており、少し前の日本の姿を知ることができる。
宗教などの縛りなく、自由闊達に表現されているぶん、前者のほうが見ていて楽しい。
当時は張り紙や広告などにも、筆で書かれた字がたくさん使われており、街中で文字が踊っている。

蕎麦屋を始めるなら、書道も習わないといけないと言ったのはデザイナーの浅葉克己であるが
確かに達筆の墨文字が店内に用いられているとそれだけで蕎麦を美味しく感じるだろう。
どんなに良質なフォントをバランスよく組んだとしても店主の筆文字には敵わないと思う。

『祈りの文字』に登場する文字は宗教的儀式に関するものなので、
よりデザインと文字の関係を考えさせられる。
手で書くことで宗教性や呪術性を担保しているのならば、この分野が最もデジタルに移行しにくいのかもしれない。

この本を手にするとデザイン外のデザインの可能性を意識するようになる。
例えば文字でなにかを表現する際に、パソコンにインストールされているフォントから選ぶ行為がいかに狭い選択肢であると。

文化と文字は必ずセットである。
隷書なら隷書の、寄席文字なら寄席文字の、活字なら活字の文化的バックグラウンドがある。
この本は街中にかろうじて漂っていた筆文字文化の残り香を写し取っているのかもしれない。




『町まちの文字』
『祈りの文字』
著者 蓜島庸二
発行 芳賀書店
発行日 1975年6月25日

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2020.06.26

Hommage to Irving Penn

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2020.05.29

ブランドとダイエット

自粛中に太ってしまったという話がときどき会話のトピックに上がってくる。
重病化してしまった例に比べるととても瑣末な問題だが、まあ実際コロナの弊害になるのだろう。

現代の飽食の時代に食べ過ぎずにいることはなかなか難しく、ダイエットに関してのノウハウ本は、書店に山と積まれている。
こんなにもたくさんのダイエット法が出てくるのは、まだ決定的な解決法がないことの証左である。
ひとつのダイエット法を試すが、痩せられない。あるいは一時的に痩せることができるが、元の体重に戻ってしまう。
失敗が多いので、新しいダイエットが次から次へと考案されていき、いまやダイエットビジネスの市場規模は2兆円とも言われている。

ダイエットの失敗ということに関して言えば、もちろんダイエット法に原因がある場合も多いが、
ほとんどはダイエットをする側に原因があるのではないかと思っている。
そしてそのことはブランドのあり方とも近いと思うので考えるところを述べてみたい。

ブランドが存在していくには当然ながら目標が必要である。
どこを目指すのか定めて、目標になるべく近づくように進めていき、到達したら、また新しい目標を目指す。
目標を定めることによって存在理由も決まるので、目標がなかったり、そのことを見失ったブランドは危険だと思う。
よって経営責任者は働く人のモチベーションが存分に高まるような魅力的なビジョンを示さなければならない。
CEOにとって一番大事な仕事はビジョンを示すことなのだ。

このことはダイエットとも同じで、ダイエットが成功するためには
どれだけ魅力的な目標を掲げられるかがポイントだと考えている。

自分が自分の経営者だとするとどういった目標を掲げればいいのだろうか。

ダイエットで一番多いのが短期的な目標ではないだろうか。
例えば夏までに痩せて水着を着たいとか、授業参観にこのスカートを履いていきたいといった目標は即効性はあるかもしれない。
しかし目標が達せられたら、それまでのモチベーションを維持するが難しくなり、その多くは元に戻ってしまう。
そして短期型の場合は食生活をドラスティックに変更するので、
フラストレーションが溜まってリバウンドすることが多く、魅力的な目標とはとても言えない。

次に多いのは審美的な目標だろう。
痩せているほうが見栄えがいいと判断し、キリがいい数字を目指して、体重を減らしていく。
これはまあまあ長続きすることが多い。
自分が理想とする体重を決めておいて、日々摂生すればリバウンドも起こりにくい。
ただ審美的な目標は、年をとるにつれて効果は弱まっていく傾向にあるし、
過剰なダイエットに走り、精神的にも身体的にも健康面を損なってしまう場合もあるだろう。
拒食症や過食症に陥ってしまっては元も子もない。
つまり審美という目標も、一見目標が定まっているように見えるが、実は抽象的で曖昧だと思われる。
魅力的になりたいならば、もしかしたら髪型やファッションを変えるほうが早いし、合理的かもしれないからだ。

また基本的に運動によるダイエットはオススメしない。
計算をしてみればすぐにわかるが有酸素運動を1時間してみても消費されるカロリーはごくわずかである。
筋肉をつけることで基礎代謝を上げる方法もあるが同じことだと思う。
毎日運動を続ける困難さもあるし、もし続かなくなったらリバウンドと同じ現象が起こってしまう。
総合的な意味での健康面のメリットは大きいし、カロリー消費しないこともないので運動自体を否定はしないが、
まずは摂取カロリーを減らすことから始めるのがダイエットの本筋だと考えている。

ではどのようなビジョンを示すが一番いいのだろうか。

そもそもダイエットすることの一番の失敗は痩せることのみが目的化しているからではないだろうか。
ダイエットなので、痩せるのは当たり前だろうと突っ込まれそうだが、
痩せることだけを目指すと、過剰に痩せたり逆にリバウンドで太ったりして、健康を損なうことが多いと考える。

人間のすべての活動は健康の上になりたっているので、
いくら審美性を得られたとしても、長期的に健康に暮らせないならないならば、ダイエットをする意味はないと思う。
つまりダイエットをする際のもっとも理想的で魅力的な目標は「健康になる」ではなかろうか。
世間ではよく「健康的に痩せる」というが意味は大きく違う。痩せる目的はあくまで健康になるためだからである。
痩せてどうしたいのか?という次の問いを自分は投げかけたいのだ。

健康という指標を掲げると、医学的なアプローチから理想の体重が決まる。
その体重を目指して、日々バランス良い食生活を心がけながら、摂取量を調整していく。
ゆっくりと数年くらいかければリバウンドも起こりにくいと思う。
考え方としてはダイエットというよりは、健康的なライフスタイルへの移行であろうか。

それでも審美的な意味で痩せたいのなら、医学的に健康である範囲内でよりカロリーの少ないライフスタイルを志向する。
(ちょうどいい体重で自分の審美に納得できないのは、痩せているほうが美しいというメディアの刷り込みだと思ったほうがいい。
それらの多くがダイエットビジネスに誘導するためである。)

以上がいまのところ考える最も理想的なダイエット法で、実際に自分はこのやり方を実践していて、
良好な健康状態を維持しているし、体重も学生のころと比べて5kgくらいしか増えていない。

ブンラドも収益を上げたあとのことを考えるべきである。
ドラッカーの有名な言葉を引用させてもらえれば、収益は目的ではなくあくまで手段なのだから。


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