すいせい

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このブログはデザイナー樋口賢太郎が綴る日々のことです
2019.07.31

盛り付けの色彩学

焼き直しをした越州青磁は実際に使えるようになったが、実はこの手の色合いは盛り付けが難しいのである。
そのことは買う段階でわかっていたが、なんとかなるかなと思って購入してみた。

なぜ難しいのか。そこには明らかな理由がある。

料理の話になると、味についての言及は盛んだが、どう食べるのかという話題はあまり多くはない。
どう食べるのかということは、色彩感覚やある種の環境学、あるいはストーリーテリングの要素までも含んでおり、
充実した食の享受を目的とするとそれらのことは避けては通れないと考えている。

一番わかりやすい例は盛り付けだろう。
いくら美味しい料理でも、安いっぽいプラスチックの器に、技巧もなく盛り付けては台無しになってしまう。
視覚的な要素が欠落するだけでも、魅力が失われてしまうことからわかるように
豊かな食には、味覚を含めた五感が全て充実していることが求められる。

例えば同じおにぎりにしても、春に見晴らしがいい公園で食べるのと、
掃除がされていない狭い部屋で食べるのとだと、どちらが美味しく感じるかは簡単にわかるだろう。
一般的には高級な調度品に囲まれたレストランでの食事が最上級と思われているかもしれないが
気持ち良く感じる環境という範囲で考えると、自然の中にも大い可能性を見つけることもできる。
このことをさらに追求すると環境学の領域に踏み込んでいく。

優れたストーリーがどういう意味を持つかは、前衛的な料理で知られるレストラン、Nomaの蟻の一皿を見ればわかりやすい。
食べ物には食べやすさのハードルがあり、そのハードルは人によりけりだが、
基本的にグロテスクなものや馴染みがないものほど食べにくい。
グロテスクであっても生活習慣に含まれていると抵抗感は薄れる。(例えばイナゴやイカの塩辛のように)
そういう意味で馴染みがない昆虫はグロテスクなので、ダブルでハードルが高くなってしまう。

ではなぜ人々はNomaで供される昆虫を喜んで食べるかというと、料理は目の前のものだけではなく
背景にあるストーリーも含めて食べているからだ。
背景のストーリが魅力的であればあるほど、充実した食を体験することができるし、昆虫さえも人々に食べさせる力を持つ。

ゲテモノ料理としてでなく、洗練された一皿に仕立て上げたNomaの功績はとても大きい。

(写真は映画『Ants on a Shrimp』より。もっと蟻が使われている料理もあるので興味がある人は検索してみてください)

上記のように、どう食べるかということは小局的には盛り付けから始まり、大局的には人が置かれた環境や物語にまで及ぶ。

今回の投稿では盛り付けの中のさらに小局的な色彩の話を進めたいと思う。

いい盛り付けにはいくつか要素があり

・色彩的要素

・配置的要素

・彫刻的要素


あたりがざっと抽出されるだろう。

それぞれ進めるとなると紙幅の限りもあるので(ウェブなので実際はないが)、デザイナーとして関わりやすい、色彩について取り上げてみる。


さて上記の盛り付けを見た際にどちらが美味しそうに感じるだろうか。

盛られているものは同じだが、おそらく多くの人が左の写真(スマホだと上)と答えるのではないか。
その理由は色にある。
色彩的観点からだと、料理と器が同系色でなく、なるべく遠い色合いにある際に美味しそうに見える。
つまり補色に近い状態だ。

日本の器に染付が多いのは、煮物が多いこと、特に醤油で煮込まれたものが多いことがおそらく関係していると思われる。
醤油の色合いの反対色は、だいたい染付の藍色あたりになり、そういった料理に合う器として、淘汰的に日本の中では染付が増えてきた。
これが同じアジア圏でもタイやベトナムになると、料理に唐辛子を使う頻度が高まり赤系に傾くので、緑釉の器が多くなってくる。

煮物に合わせるための青系の器、おひたしなどの青物に合わせるための茶系の器が、合わせやすい器のひとつの色の基準だろうか。
むろん無彩色の白と黒の器はどんな料理に合わせやすい。

逆に合わせにくい代表色として上げられるのが越州青磁の色である。
緑と茶の間なので煮物と青物のどちらを乗せても映えにくく、鑑賞としてはとても優れているが器としての機能が満たされていない。

越州青磁は南宋の青磁の隆盛によって、12世紀くらいから衰退の一途をたどるが
その理由のひとつとして料理が映えにくいという欠点があったからではと考えている。
一方の南宋の青磁ははっきりとした青緑釉なのでアドバンテージがある。

色をシミレーションしてみた。
左(スマホだと上)がそのまま、右(スマホだと下)が青磁色にしたもの。やはり右の方が美味しそうに見える。

もっともなぜ補色関係であると美味しそうに感じるか、その理由はわからない。
以前、色感がいい人は味覚もいいと書いたことがあるが、そのあたりが関係しているのだろうか。
鮮度が失われるとともに、生命の色鮮やかさは後退していくものなので、フレッシュさを感じる方に本能的に惹かれるからという考え方もできるが、
その辺はもう少し慎重に考えを進め、答えを探してみたい


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投稿者:かおり 2019-08-24 06:35:22

こんにちは。モロッコの焼き物について調べていて、たまたまこのブログに巡り会いました。器と人類学が繋がるおはなし、とても興味深く拝読しました。私はパリで飲食店を経営しています。パリの郊外で釜を構えている友人が焼くカラフルなお皿に日々料理を盛り付けているので、今回のお話もすこぶる参考になりました。ちなみに、このお皿には、濃く深い紫色のイチジクなどはいかがでしょうか。でも日本のイチジクは皮が緑色だったかもしれませんね。では巨峰などはどうでしょう?葡萄の葉も一緒に盛ることができたら良いですね。故郷の信州在住の陶芸家で、みじかな木を燃料にして器を焼かれているいる方がいるのですが、柿の木で焼かれた器たちは、橙色とも薄茶色とも言えない、なんとも微妙な色に焼き上がっていました。その色の風合自体は本当に美しいのですが、食べ物が生える器ではありません。なのでうちでは出番が少ないのですが、今の時期は例外で、イチジク、ブルーベリーやラズベリー、ブラックベリー、ダークチェリーなどをちょこっと盛るのに重宝しています。
今後もブログの執筆応援しています。
投稿者:樋口 2019-08-24 13:00:14

コメントありがとうございます。本職の方からの投稿で恐縮してしまいますが、食に関わることが大好きなので、反面とても嬉しく思います。
確かに紫色はいいですね〜。アドバイスありがとうございます。熟していると日本のイチジクも深い紫色ですよ。半分に割って盛り付けても映えそうです。ちょっと思っていたのは、無彩色の白だとオールマイティなので、白和えとかクリームチーズ和えにしてしまえばいいのではということ。ナガノパープルなどの皮も食べれる巨峰を他の具材とともに白和えにすると良さそうじゃないですか。あるいはブルーベリーなどでもいいかもしれません。
ヨーロッパの場合は基本白の器なのかと思っていましたが、カラフルなのにも盛り付けるんですね。さすがプロだなと思います。彩度が高かったり、色がたくさん使われていると自分の技術ではうまく盛り付けできないので、いつも無難な器に逃げております。笑