2010年12月

名前は何ですか?

なんで「すいせい」っていう事務所名にしたんですか?って時々聞かれることがあります。
デザイン事務所名はアルファベットが多いので不思議に思われるからだと思います。
詳しく説明するのもアレなので
「いやー、なんとなく」とか「感覚で決めました」とか言って適当にごまかしてるんですが、
実際には色々な思いがあって決めました。

アルファベットではなく
日本語のデザイン事務所名にしようとは始めから思ってました。

日本に生まれて日本の文化の中で育って、
デザインする上で歴史や伝統の恩恵にもあずかり、
そして日本人の為にデザインするのなら
必然的に名前は日本語になるんじゃないかと考えていたからです。

自国の文化に対して自覚的で意識的な姿勢や
英語ばっかり使ってやたらとカッコいいデザインをするのではなく
ちゃんと本質を押さえてますよ、ということも伝えたいと思いました。
他社と差別化が計れるので記憶に残りやすいってことも考慮に入れたと思います。

世の中のデザイン事務所名にアルファベットが多いのは
デザインって言葉や概念が輸入されたものという意識が強いからでしょうね。
デザインって言葉自体が英語なのでしょうがないかもしれないですが
輸入される遥か昔から世界に誇れる優れたデザインは日本にもたくさんありました。
よく引き合いに出す民藝なんかも最高のデザインですし、
書体で言えば江戸文字なんかも日本独自の文化です。
家紋を作り上げた日本人の造形力やセンスも言うまでもないでしょう。

日本語の名前は意外性があるようでお会いした方々には割と印象に残るようです。
ま、僕より「すいせい」の印象が強くて
名刺を渡して「あ、前にもらったことがある」って言われることはご愛嬌ですが。

「すいせい」を設立してから6年が経とうとしています。
長年やってこれたのは100パーセントご依頼いただいたみなさまのお陰だと感謝しておりますし、
そのきっかけに少しは上記のことが関わっていると嬉しいです。

今年もいろいろな方々にお世話になりました。
来年もみなさまにとってよい一年でありますように。

すいせい
代表
樋口賢太郎

民藝の季節

 

 

明日から毎年恒例の「日本民藝館展」が開催されますよー。

本当に良いものを買おうとすると朝早くから並ばないといけないのですが
見るだけでも充分楽しめます。

展示している物の中には
「こんな道具、いま使わないよ」とかあるんですがいいんです。そんなこと。。

展示品に触れることで普段使わない感覚をひらく経験だと思ってもらえれば。
それは桂離宮を見る事と同じで、
連綿と受け継がれる手仕事が新しい感覚のフェイズを増やしてくれることを期待するだけなのです。
すぐれた映画や小説や料理と同じように。

みなさん、驚きに行きましょう。

日本民藝館展
12月11日(土)〜23日(木・祝)
日本民藝館

リブラリアン 北園克衛


上左:北園克衛『ガラスの口髭』 上中央:北園克衛『若いコロニイ』 上右:木原考一『星の肖像』
下左:北園克衛『黒い火』 下中央:藤富保男『コルクの皿』 下右:西内延子『緑の環』

 
詩についてはよくわからないけれど、北園のデザイン、写真には中毒性があるように思える。

北園とは昭和初期から50年代にかけて活躍したモダニスト北園克衛のことである。
その活動範囲は前衛詩を主軸として写真、デザイン、映像と幅広く、
ほとんどを独学で習得し、76歳で没するまで旺盛な創作活動を行った。
プロフェッショナルでもない一人のモダニストの作品が時代に埋もれることなく、
現代でも輝き続けているのはとても不思議なことだ。
(日本歯科医学専門学校の図書館に職を得て、亡くなるまで勤務していた)
いや、北園の前ではもはやプロ、アマチュアでの線引きは意味がないかもしれない。
なにしろその実力はプロの線をまたぐことができたのではなく、
プロの中でもトップレベルの域で常に活動していたのだから。


plastic poem(左『VOU』117号より 右『VOU』133号より)


亡くなる直前まで発行し続けた機関誌『VOU』

北園の作品群を見渡すとそこにしっかりと確立された世界観をみることができる。
装丁について言えば、おおよそ「文字+何かひとつの要素」で構成されていて、
余白を生かした緊張感のあるデザインからは
北園とモダニズムの出会いがいかに幸福であったのかよくわかる。
日本的な淡白な美意識とモダニズムの邂逅が
ひとつの世界観をつくっているのは間違いないだろう。

「私の『理想の装丁』というものは、必ずしも、私個人の独創的なデザインの上のアイディアを反映しているという意味ではない。それは、ながい間、装丁の仕事をしてきたデザイナアであるならば、当然に行き着くところのぎりぎりのパタアンである。では、それはどういうものなのかと言えば、ただそこには、その書物の著者名と書名があるばかりであるといったようなものである。私が考えている書物の装丁の理想は、そういうものである。––後略」
北園克衛「装丁を感覚する」『朝日出版通信』4号より

北園は自己表現を目的としていない。
そのことは「行き着くところのぎりぎりのパタアン」が
「その書物の著者名と書名があるばかり」であるという箇所からもよく解る。
最高の表現とは自己以外の「価値がある何か」が表現されているということを
北園は確かに知っているのだ。

概して芸術はいかに自己を表現するかに執着しやすい。
しかし感動を促す作品は作家の自己や自我とはかけ離れた場所にある。
自我が照らす明かりの先に真理が見えた時に人は感動するのであって
方向性を指し示すだけでは、そこに見るものは作家の自我や個人的嗜好でしかないと思う。
例えば赤色が好きな画家が赤を多用する作品を制作したとしても、その嗜好には意味はなく、
赤を通してどのような真理が見えてくるかと言うことに価値があるのではないか。

そのことをアカデミックに頭で理解しているのではなく
実践から導きだした答えとして身体で理解していることが
北園が現在でも輝いている理由なんじゃないかと思う。


全160号すべてのデザインを北園が手掛けた。
同じタイトルでこれだけ違った表情をつくれることにも脱帽してしまう。

今週末まで世田谷美術館で北園の作品をまとまって見れる展覧会を催しています。
貴重な機会なので是非。

橋本平八と北園克衛展
異色の芸術家兄弟
世田谷美術館
~12月12日

左が北園。右は彫刻家で実弟の橋本平八

冬の日差しを感じながら見る北園の作品はなかなかいいですよ。

図版出典:『橋本平八と北園克衛展』より

お金のことはブラックジャックに聞け!

お金って一体何なんでしょうね?

これだけ高度資本主義が発達してくると
その傾向に反するように「お金は全てではない」とか「脱貨幣社会」とか言われるようになります。
個人的にはお金がない社会ってひとつの理想だと非常に魅力的に感じるのですが
実際に自分で仕事をするようになると世の中お金があることでうまく回ってるなあと
納得せざるを得ないこともたくさん経験します。
なんというかお金が介在する方が楽な場合が多いんですよね。

恐らくお金には決意みたいなものが含まれるからかもしれません。

言うまでもなくごく少数のお金持ちの人を除いて
普通の人がまとまった額のお金を集めるのって簡単ではありません。
ボヤーとしててもお金って貯まらないもので、家を買いたいとか旅行に行きたいとか
何かしらの目標がないと悲しいくらいに日々のことに消えて行きます。
家を買うなどの高い目標を達するには、当然ながら長期的に意思を強く持たないと難しいので
お金ってある種、決意や熱意のバロメーターでもあると思ってます。

デザインの仕事をする場合に
相手の方がどれだけ決意や熱意をもってらっしゃるかによって
こちらのモチベーションもだいぶ変わります。
まあ、それはどの仕事でも同じだと思いますが
熱意が多いと「ここはひとつがんばっていいデザインをしないとなぁ」という気持ちになります。
もちろんプロフェッショナルに仕事をしてるので
仕事を分け隔てて考えることはしないですが
それでも頭の中で気にかける度合いは変わってきます。

その相手方の熱意を判断する際のひとつの基準(あくまでひとつです)として
お金ってのがあるんですよね。
もちろんお金が全てではないですが目安にはなるというのが正直な感想です。
まとまった金額を用意してご依頼いただくと真摯に向き合って話を伺わないとと思います。
それは金額が多いからではなく、
話している空気の中に決意や熱意が混ざっているように感じるからです。

熱意の話ではよく手塚治虫の『ブラックジャック』を思い出します。
とても法外な手術料を請求する天才外科医の話です。
最初読み始めるとなんて冷酷でお金に汚い医者なんだと思いますが
だんだんとそんなに高い値段を請求する理由が解ってきます。
お金が欲しい訳でなくただ生きることへの熱意が見たいだけなんですよね。
なぜなら熱意が見えた途端に法外な値段から一転して、
笑っちゃうくらい安い金額になることも多いからです。

僕も打ち合わせの際に自分の熱意を伝えたいですし、
相手方の熱意も感じたいと思います。

ブラックジャックみたいな天才では全くないですが
とても熱意を感じるお話であれば笑っちゃうくらい安い金額で
お引き受けすることも全然やぶさかではないですから。
 
図版出典『もらい水』 ブラックジャック 秋田書店より

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