究極の「ふつう」とは? 2

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民藝の条件
柳宗悦が生み出した民藝の条件とはなんでしょうか?

1)世代を超えて受け継がれるもの。
2)デザイナーが関わっていないもの。
3)大量に生産されるもの。
順不同ですがざっと挙げると上記の様になります。

1)の条件は言うまでもないでしょう。
何百年もの間、人から人へ受け継がれることで最良の形に自然とおさまることができます。
民藝の一番のポイントです。

2)が意味するのは近代化以前はデザイナーは存在していなかったということです。
様々な物が分業化・細分化されるようになって初めて
グラフィクデザイナーやファッションデザイナーや建築家という職業が誕生しました。

またデザイナーがデザインしない方がいいものが出来ることがあります。
なぜならばデザイナーであることで陥ってしまう危険性があるからです。
その危険性とは物事の判断がデザイナーの美意識に依存しすぎるところです。
デザインする上で重要な機能、歴史的背景などではなく
美意識を優先することでかえって美から遠く機能的ではない物が生まれます。
デザイナーは個人の嗜好ではなくもっと客観的な事実を優先すべきだと思います。
その点デザイナーでない場合は美意識を働かせるという意識がそもそも希薄なので
本質をずばりついたものができあがります。

僕自身もデザイナーを続ければ続けるほど美意識からは遠ざかったところで
デザインをしたいと思うようになりました。

3)大量生産されるメリット。
一般的に美術品と呼ばれるものは最も価値が高いと思われています。
時の為政者がお金と権力にモノを言わせてつくらせた作品の多くは
いまだに美術館や博物館に並んでいます。
現代ではブランド物なども同じような位置にあるのでしょうか。
しかし世の中で言われているような美術品やブランド物に圧倒的な価値があるかは疑問です。
なぜならワンアンドオンリーをつくるには手間もひまもお金もかかるので、
通常の生活者(もちろんマジョリティ)が入手することは困難だからです。
どんなに使い易く、美しいものでも少量では意味がありません。
多くの人が手にすることはできなければ世の中が良くなる方向には向かいません。

そういう意味で現代社会ではユニクロや無印良品はとても価値があると思ってます。
民藝とは一見無縁のようですが
大量で安い良品質のモノを供給することは民藝的な価値観と合致します。

また手工芸に関して言えば大量に手でつくることは別の意味を持つようになります。
素早い動作を何度も繰り返すことで個人の美意識から逃れられると柳は考えていました。
無我の境地というのか、無意識の意識というのか
自我を超越する方法論として大量生産は機能すると考えました。

以上がざっくりとですが柳が提唱した民藝です。とてもすぐれた非の打ち所がない論理だと思います。
なにしろ普通の日常(言葉変かな?)に美を見いだすという発想がラディカルです。
現代でもそのまま有効そうな素晴らしい哲学ですが
今後の未来に役立てようと考えると少しアップデートを行わないといけないでしょう。

「機械生産も可」と「デザイナーによるデザインも可」。
上記2項目を加えると生きた哲学になると思います。
柳は機械による大量生産を嫌っていました。
元々の立ち上がりが機械生産の批判から始まっているだけに
容認できないのは心情的によくわかります。
しかし現代社会において機械生産は必要不可欠です。
安価な機械大量生産に可能性を見いだすことが重要だと思います。

それと現代社会ではデザイナーによるデザインも避けられません。
個人の美意識だけでない、客観的な判断力を持ったデザイナーならば
優れたデザインを生み出せると思います。

<つづく>

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