2011年9月

空白恐怖症の中国、寿司デザインの日本 前編


 
 
中国杭州にて

目の前にある建物は日本人の感覚からすると
過剰なくらいの装飾や模様に埋め尽くされている。
柱や壁や扉はもちろんのこと椅子や机やカーテン、
よく見るとドアと壁の隙間をつなぐ細い部材にも微細な装飾が入っている。
おおよそ装飾を入れることに関して
中国人はとても情熱的に取り組んでいるのだろう。

単に空白を埋めるというだけではなく、
いっけん無地かと思いきや
目を近づけて見るとデリケートな細工が施されていたりして
鋭い感性と高い技術力が働いていることが分かる。
装飾で埋め尽くされていると表現すると
日本人ならだいたい過剰さや無秩序を思い浮かべるだろうけど
そういうものとは無縁で心地いい。

しかし心地よさとは別にある種の強迫観念みたいなものも感じてしまう。
装飾がない状態を放っておけない、空白恐怖症に近いものだろうか。

それはすなわち中国において装飾の不在とは
コミュニケーションの不在も意味するからかもしれない。

かねてより装飾や模様は権威を表すことに利用されてきた。

誰かが権威を持っているということを理屈でなく表現するには
そういったものがとても有効であったからだ。

中国の王に会うために
はるばるヨーロッパからシルクロードを伝って来た客人が
装飾でびっしりと埋め尽くされた部屋に通されて、
高密度の装飾の玉座に座っている王を見ると
言語や文化的背景が異なっていても
権力を持っている事は感覚的にわかると思う。

そのような背景には中国が多民族国家(※)であることが関係しているのだろう。
異なる文化的背景を持つ民族に対してアプローチするには
外国人でも理解できるような確実なコミュニケーションが求められるからだ。
それは空白や余白という曖昧さを排し、
わずかな隙間さえも装飾で埋めると言うことを意味する。
多民族国家において曖昧さは決して美徳ではなく、
常にある種の危機感をもって回避すべき事態なのだ。
もちろん曖昧であることが
有事に繋がることも充分考慮に入れなければいけない。

より正確に表現すれば
中国人は模様が好きというよりは、空白が嫌いなのだろうし、
脅迫観念を感じるのは「装飾」にというよりは
「生き延びる為に全力で空白を埋めようとする執念」の方にかもしれない。

一方日本はどうだろうか。

たぶん中国人ほど装飾に対して熱心ではないだろう。
それは非多民族国家ということが関係しているのか?

後編へ

写真
上 杭州にある薬局内部
中 同建物吹き抜け部分2階
下 同建物吹き抜け部分3階

※中国では現在でも55の少数民族を抱える。

カワイイ

今回はカワイイ繋がりで。
上は渋谷の児童館(だっけな?)の子どもの絵(カッティングシート)。
目が覚めるカワイさだった。
 


民藝館で見た芹沢銈介の絵本。
カワイイって言うのは失礼かもしれないけどやはりカワイイ。
 


ヤキトリマトリックス。分かりやすやさと親しみやすさとカワイさ。


掃除中でもこれなら許せてしまう。

カワイイってやはり一考の価値がありますね。

時々「美しい」ってことよりも
上位概念じゃないかと思ってしまいます。
赤ちゃんとかペットとか。

特に対人関係の場合はカワイさ(カワイ気)がないと
好かれないです。
どんなに優秀でも仕事ができても美人であっても
カワイくないと愛されない。
いや、別に女の子の話だけではなくて老若男女問わず人類共通です。

なのでとてもハードルが高いことをお願いする場合
カワイイってのはとても重要になります。
そういうことをわかってる人は頼むのがうまいですね。
カワイイ=ニクめないって言葉に置き換えるとわかりやすいかも。
「カワイイ」ってのはもはや人徳の一部なんだろうな。

 
下は記事とは全然関係ないですが
先日乗った中国の高速鉄道の写真です。

中国では驚くことに新幹線のホームが20くらいあるんです。
この廊下右手にずらっと20番線まで並んでいました。

事故から10日後くらいでしたが
中国の人々は極めてナチュラルに乗ってましたよ。

最近のコメント