2011年12月

追悼

柳 宗理
1915–2011

謹んでご冥福をお祈りいたします。

もっとも尊敬するデザイナーのひとりでした。
亡くなる前に一度お会いしたかった。

棚を消費する

やまのかみ木工所に依頼していた棚が納品されました。

ボックスの棚×12
材質:ナラ
仕様:カラーオイル塗装
サイズ:465×465×340mm(W/H/D)

デザイナーという職業につくと(おそらくほとんどの人は)
消費する事にとてもコンシャスになります。
消費を促す側にまわるので自然とコンシャスになるのですが
同時に消費そのものにも疑問を持つようになると思います。
とくに疑問に感じるのは長期的に使えない中途半端な製品を大量生産して
有限な資源を無駄にするタイプの消費です。
デザインしたものが刹那的に消費され捨てられていくことは、
デザイナーとして悲しいというよりも、このようなサイクルで進んで行き
人類が明るい未来を手にできるのかという根源的な疑問に繋がります。

社会のシステムがそうだからと言ってしまえば簡単ですが
自分が関わる案件については少なくともそのシステムには巻き込まれたくないと思います。
「少しでも息が長い良質のデザインをつくる」
「消費されるだけのデザインはつくらない」
「デザインすることで文化や環境や倫理や政治等が良くなることを目指す」
これは独立してからずっと守ってきているデザイナーのマニフェストのようなものです。

依頼したこの棚は無垢板で構成されている為、強度の面でも、
美観の面でもとても息が長い製品と言えると思います。
少なくとも僕が一生使うには充分過ぎるくらいです。
キズがついても汚れても無垢板なのでメンテナンスすればいいですし、
ボックスという機能だけで事足りなくなったら引き出しや扉などのオプションもつけられます。
それにボックスタイプなので環境が変わってもある程度流動的に対応できます。
長く使える製品を買うことは僕の消費者としてのマニフェストのようなものです。

もちろんこのようなこだわりはコストがかかるので
「世の中にはそんなことにお金をまわせない人もいるんだよ」という声が聞こえてきそうですが
中途半端なものを購入して壊れるたびに買い直すよりも、
我慢してお金を貯めてきちんとしたものを買うという選択肢もあると思います。
僕は長年そういうスタンスで商品を購入してきました。

前回取り上げたスティーブ・ジョブズの伝記の中で
独身時のスティーブの家には家具が全然なかったと書かれていました。
当然ながら経済的な理由ではなく、気に入ったものをなかなか選べないのが理由のようです。
お金持ちだからと言って無駄に浪費するのではなく、
本当にいいものに出会うまで買わないってのは健全な姿勢だし、賢い消費者だと思います。
「消費者が求めるベスト」がわかるには
まず自分自身が「ベストの消費者」にならなければいけないのかもしれません。

不景気がこれだけ続くとお金を使うことが促されますが
果たしてそういう政策が明るい未来に繋がっているのでしょうか。
景気が回復してまた世の中にお金がまわるようになっても
ただ資源を無駄に費やすだけなんじゃないかと思ってしまいます。
むしろいまのような時こそ本当にいいものに巡り会うまで消費をしない姿勢が、
資本主義経済の矛盾や不完全さを補完し、明るい未来への一歩になるのではと信じています。

こういうのもあります。
Buy Nothing Day
買わないことで消費について考える日
 

レドセとスティーブと民藝


 

もちろんスティーブ・ジョブズの波乱の生涯にも興味があったけれど、
実際にどの程度ディレクションするかで
かのappleの一連の製品群が出来上がっていたか知りたくて「伝記」を読み始めた。

伝記は極めて細かい部分までディレクションしていることを教えてくれるが
今回はその話題ではありません。

スティーブのガールフレンドにティナ・レドセという女性がいました。
仕事関係で知り合った当初はレドセにはパートナーがいたのものの、
スティーブが熱烈にアプローチし、付き合い始めます。
レドセの「純粋で自然なところ」に魅力を感じ、
数年間は関係が続いたのですが価値観の相違から結局二人は別れてしまいます。

美的感覚についても考えが違っていた。普遍的な理想の美というものが存在し、それを人々に教えるべきだと考えるジョブズに対して、美的感覚はあくまで個人的なものだとレドセは考えていた。ジョブズはバウハウスムーブメントの影響を受けすぎていると見ていたのだ。
「美とはどういうものなのか世間に教えなければならないとスティーブは考えていました。私はそのように思いません。自分の内なる声に、また、お互いの声にじっと耳をすませば、生まれながらに持つ真なるものが浮かび上がってくるはずだと思うのです」——スティーブ・ジョブズ 上巻  ウォルター・アイザックソン著

これを読むと意見がくい違っているようにもみえるけれど
よくよく考えるとほとんど同じことを言っているのではないか思えてしまう。
どちらの意見も「美」を大事にしているが、その「美」が現代社会では偏在的である故、
かみ合わないように見えるのではないだろうか。

たしかにレドセが言うように、
誰かが「美とは何か」を伝えないといけない世界は根本的に不幸だと思う。
伝統性の文脈で連綿と受け継がれる「美」のようなものをゆるやかに享受する生活と、
個人が一時代で創出した価値にまみれて生きるのとではどちらが豊かなのか明らかだろう。
伝統とは人間の叡智がぎっしりとつまったものであり、
そのアウトラインが強固であればあるほど、その中で「美」すら意識せずに
満ち足りた生活がおくれるに違いない。
極論を言ってしまえば「良質の伝統さえあれば美意識なんていらない」のだと思う。


 
 

しかし近代化を経た世界では伝統性は分断されることが多いし、
ドラスティックな変化に伝統だけでは対応することができない。
特にスティーブがいた世界は人類の歴史の中でも
一番新しい発明品を生み出していた分野だろうから享受できる伝統はとても少ないと考えられる。
そんな業界にいて誰も美に対して責任を持たないことを(おそらく)スティーブは嘆き、
自ら率先して普遍的な美を伝えようとしていたのだ。
コンピューターが今後何百年も続いて伝統文化となり、或いは民藝となり、
誰かが「美とはどういうものか」を声高に伝える必要がなくなるまで
スティーブのような優れたビジョナリーが先へと導いて行かないといけない。

つまりはレドセが求めるものをスティーブが与えることができたのだろう。

もしそのことを別れる前の二人に伝えられたら運命は変わっていただろうか。

画像
上 Macintosh 初号期
中『北欧・トナカイ遊牧民の工芸』 日本民藝館
下 ipod classic

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