2012年2月

変態のすすめ

流れるような車の曲線をセクシーなどと表現するのはなぜだろう。

というような設問から快楽について考えるようになった。
なぜ無機質な車に性的な形容が違和感なく結びつくのか。
「とろけるように甘美な音楽」という表現でもいいかもしれない。
どうして味の実態がない音楽に「とろけるように」とか「甘美な」という比喩を用いるのだろうか。
もちろんメタファーであることはわかる。
疑問に思うのはなぜ表現を別の快楽におきかえるのかという点だ。
見る快楽と性的な快楽、味覚の快楽と音の快楽。
これらにはどこか共通項があり結びついたのか。

あるいはこんな経験はないだろうか。

どうしても見たいDVDを借りることができて家に帰ってきた。
一秒でも早く見たいけれどお腹もとても空いている。
とりあえずパスタでも茹でて簡単に食事をすませようと料理を始める。
食事が終わり満ち足りた気持ちでDVDを手に取ると
なぜが前ほど見たくなくなっている。
あれほど見たかった気持ちが消えている。とても不思議だ。

他にも似たような経験があり快楽の不思議が降り積もっていく。
自分の身体で起こっていることなのに分からないのがもどかしい。
壁の向こう側ではいったい何が起こっているのだろう。

ある時、もしかして人間にとっての快楽はひとつなのではと思った。
絵画や音楽で得られる芸術的快楽も、セックスによって得られる性的快楽も、
はたまた麻薬を使って得られる薬物的快楽も同じことを指すのではないだろうか。
そうであるなら満たされない欲求は他の快楽で相互的に埋めることができるし、
比喩が似ることも説明がつくように思える。
脳内で分泌される神経伝達物質ドーパミンが快楽をもたらすとしたら
人類が求めるさまざな快楽にドーパミンの分泌という上位概念が存在し、
分泌へのアクセス方法を快楽という名前で呼んでいるのではないかと考えられる。

この上位概念のお陰で他人に迷惑をかけなければ
いかなる快楽を享受してもいいと素直に思えるようになった。
アクセス方法に貴賤はなく、個人個人が好きなように快楽を楽しめばいい。
つまり快楽民主主義とも言うべき自由を手にすることができるのだ。
もしあなたが変態であっても気にしてはいけない。
変態というのはそのアクセス方法においてマイナーなだけだからだ。
少数民族が差別されるべきでないようにマイナーな嗜好も差別されるべきではない。
ゴムの匂いが好きなんですとか、ぽっちゃりした体型にどうしても魅かれてしまうとか、
あるいは人に言うのもはばかられる嗜好さえも
他人に迷惑をかけない限り大手を振るって楽しむことをこの民主主義は許してくれるだろう。

そもそもデザイナーなどの表現者は嗜好のマイノリティなのでとても変態だ。
グラフィックデザイナーは紙の質感や印刷される造形の妙に快感を感じているし、
プロダクトデザイナーであれば製品の微妙な曲線に快感を感じている。
最も価値があるのは個人的でマイナーなアクセス方法を世の中に発表し一般化できた時で
一流になるには個人の変態性を極めなくてはいけない。
スティーブ・ジョブズはデジタルの分野で個人の変態性の一般化に最も成功した一人だと思う。

もちろん別に苦労して一般化しなくても趣味としての嗜好を楽しめばいい。

木工好きは日曜の昼間に本棚をつくるだろう。
木材を選び抜き、切り方にこだわり、滑らかにカンナ掛けして本棚をつくる。
料理好きは厳選素材でスープをとり、三日かけてラーメンをつくる。
映画好きは見るだけでは満足できず、実際に映画を撮り始めるかもしれない。

マニュアルに飽き足らず、オリジナルの方法を考案し出したら楽しい快楽民主主義への第一歩である。
恐れることなく豊かな変態の世界へ飛び込んで欲しい。

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