2012年8月

小鹿田焼の里

先週末、実家(熊本)に帰省し、大分の日田に行く機会がありましたので、
近くの小鹿田焼の里の小鹿田まで足を延ばしました。

毎年お正月には帰省しているのですが夏の九州に帰るのは実に10年ぶりくらいです。
住んでいた当時は思わなかったのですが、
改めて夏を過ごしてみるとここはやはり南国なんだなあと思いました。

まず空の色が違う。とても色鮮やかで雲の輪郭線がはっきりとしています。
関東の空はどっちかというと緑っぽい青なんですが、九州は赤味が強い青=コバルトブルーです。
モジャモジャと繁る木々も見るからに生命力に溢れていて、とても濃い緑色をしています。

そういえば高校時代には九州の環境の色鮮やかさに触発されて、
印象派っぽい油絵や水彩画などをよく描いていたことを思い出しました。
モネとかマチスとかボナールとかそのあたりのイメージです。
あのころはデザイナーではなくて画家になろうと思ってたんだよなあ。
画家になれてたらどういう人生だったんだろうか。民藝に興味があったんだろうか。笑

これまで民藝好きを公言しておきながら、実は小鹿田を訪れるのは今回が初めてです。
小鹿田は日田市から車で20分ほどの山あいにある小さな村で、
車で離合(あ、これ九州の方言だな。すれ違うことです)するのが大変なほど
細くて急な坂道に10の窯元が点在しています。
その道沿いに渓流が流れ、渓流の水は
陶芸の土を細かく砕くための水車の動力や作陶に使われています。

小鹿田焼は小石原焼をルーツとして江戸中期に始まります。
それ以来途絶えることなく300年続き、
工業制の器が隆盛の現在でも魅力が失われることはありません。なぜなんでしょうか。

その理由をすこし考えてみました。

1 器の作陶システム
ひとつに小鹿田焼の優れた作陶システムがあります。
代表的な飛び鉋や刷毛目などは自己表現を目的としない、
偶然的な自然の摂理を利用する技法です。
作陶の過程で自我というやっかないなシロモノが入り込む隙がないシステムが
うまく機能していると思います。
例えば伊万里焼(小鹿田焼のルーツとする小石原焼のさらなるルーツ)は
模様を旨とするため自己表現と結びつきやすく、自我との距離の取り方が難しくなります。
好みはあるかもしれませんが、現在では良質の伊万里焼を見つけられないのも
模様をベースとするシステムの限界と言えるかもしれません。
やはり自然をうまく取り入れるシステムの方が普遍性が高いのだと思います。
飛び鉋の技法は伊万里焼にもあったようなのですが
現在ではすたれて小鹿田焼と小石原焼に残すのみです。
余談ですが飛び鉋の技法を再び伊万里焼に取り入れるのも悪くないのでは思いました。

2 値段
いくら優れた器でも手が出ない値段だったら普及しません。
伊万里焼などは絵付けに時間がかかり相対的に値段が高くなってしまいますが
小鹿田焼の技法は皿一枚にかけるコストが安く抑えられます。
「民藝品は安価でなくてはいけない。
安く買えることで広く世の中に普及し、全体的に器文化を向上させることができる」
と言う柳宗悦の民藝理論がここでしっかりと実証されてます。

3 地理的な閉鎖性
行くと分かるのですが、ホントに山奥です。
いまでこそ車で行けますが、柳宗悦が小鹿田焼の里を訪れた昭和6年には
行き着くまでけっこう大変だったと思います。
閉鎖的な環境の中で一子相伝に近い形で、数百年も技術が伝承されてきたことが
小鹿田焼にプラスに働いたようです。

民藝にはまりだした頃、小鹿田焼の白い器を購入し料理を盛りつけてみて
それまで使っていた味気ない工業製品の器との差に愕然としました。
同じ料理でも器が変わるだけで、ここまで魅力的に変わるのかと思い、
合理性という名の下にどれだけ多くの大事なものを捨てて来たのか想像しました。
そういう大事なものって精神的にまいっている時ほど助けられるんですよね。
プラスチックの器でなく、
人が手でつくった器で食べるご飯って結構なセラピーになったりしますので。
そういうものを捨ててしまったことでバランスを失い、人類の精神的な疾患の原因を
生み出していることもあると思います。

とか言い訳しながら、大量の器を購入してしまい、重い思いをして東京に戻ったのでした。
いや、しかし九州の夏は夏っぽくていいんだけど、暑いですね。とてもとても暑かったです。
 
 
追記:小鹿田焼って10の窯元しかないことを初めて知りました。
現在では日本全国で小鹿田焼を目にすることができますし、
ある種、民藝の器の代表的イメージなので、もっと大規模に展開しているのかと思いましたが、
実際には家内制手工業というのか、本来の意味での民藝的な作陶なんだなあと思いました。

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