2013年7月

前期

昨日の課題の講評をもって東京家政大学の前期の授業が終了しました。

楽しんでもらいたいというコンセプトで課題を考えたものの、
生徒にとってはけっこう難しい内容だったようで
悩んでいる姿を見て少し心配していました。
しかし最終的にあがってきたものを前にすると
きちんと考えられたものも多く、ホッとすると共に、
この課題にしてよかったなと思ってます。

一部をご紹介します。

マイナーな食べ物のプロモーションをするという課題より。
詳細はこちら

マンボウのプロモーション。
円というシンプルな形で表現しているのがいいですね。
マンボウの特徴的なシルエットではなく
円で表現されたこのマークを見たときにヤルなと思いました。

こちらは新潟県の見附市で食べられているミルクヨーカンのプロモーション。
ミとヨを合わせたマークはなかなか抜けがいいです。(2枚目はコースター)

七味唐辛子のプロモーション。
回転する形の造形はもう少し考える余地があると思いますが
全体的に上質な和を喚起するイメージが提示されているのではないでしょうか。

家政大の造形表現学科はデザイン専攻がなく、
総合的に表現を学ぶ学科なので
2年生の今回の課題で初めてデザインに関わることになります。
そういう意味で考えると全体的に悪くないレベルに仕上がったのではと思います。

これから学生は2ヶ月の夏休み。
夏のリアリティって夏休みという制度が大部分を担っているのでは、と感じる今日この頃です。

苔むすお札


 
日本のお札を見ていると、そのイメージの基本となるものが
苔から来ているのではと感じるのは僕だけだろうか。

それは色合いでもあるし、意匠でもあるし、紙の質感でもあるのだけど
なんというか全体として苔むした岩のようなものを目指してデザインしているように思える。
国家として、ある意味では一番信用を得ないといけない局面で、
苔的なものが表出する不思議さを考えてみたい。

日本の中にいる分には苔っぽいと感じることはあまりなくて、
海外旅行などで、オレンジ系や派手なお札を目にした時に、
「派手だとありがたみがないなあ」とか「もっと色調を抑えた方がお札っぽいのでは」と
意識することから始まる。
見慣れたものが変わることでの違和感は差し引いても、
日本人としては、彩度が高かったり、色の組み合せが派手だと、
お札としてはふさわしくないと感じるだろう。

識別性という観点では、それぞれのお札は似た色調でない方が望ましいが
日本のお札はくすんだ色調の中からのみ選ばれていると思われる。
彩度が高い色を好まない傾向が日本にはあるかもしれない。
しかし原色をそのまま用いるような伝統的な表現も少なくなく、
漁師が使う大漁旗などは気持ち良いくらいに原色で構成されているし、
日光東照宮や伊藤若冲の絵などにもなんのためらいもなく使われてきた。
ド派手な色を品がないと感じる大和的意識の傍らで、
南方系の原色を使う文化も脈々と受け継がれてきたのだ。
つまりパレットには様々な絵の具が出ているが渋い色しか使っていないと思われる。

もちろん渋いだけでは苔っぽくはない。
赤系や茶系でも緑系ベースの色調を保持していること、
その赤や茶が全体にではなく部分的に分布し、あたかも岩肌に自生する苔の様にみえること、
などが主な要因だと思う。
面白いのは緑系ベースのみでまとめられている千円札よりも
一万円札などの緑系×赤系のミックスの方がより苔感が出ている点だ。
緑だけの色調だと、他の植物も喚起するが
赤や茶色が混ざることで石を覆っている苔という状態が明確になるからかもしれない。
 
君が代は
千代に八千代に
さざれ石の
いわおとなりて
苔のむすまで

この歌の解釈はいろいろとあるだろう。
しかしいずれにせよ誰かの未来永劫の繁栄を願うことは共通していて
その比喩として苔が用いられている。

古来より苔は、日本人にとって「得難いもの」「かけがえがないもの」の象徴とされてきた。

苔を見るとき、人はいろいろなことを想像する。
その生育の遅さを考え、目の前に広がる面積を埋め尽くすには
どれだけの時間がかかるのだろうかと。
その不可逆性を思い、どれだけ長く踏み荒らされていないのだろうと。

京都の苔で有名な西芳寺、いわゆる苔寺も、
その面積を埋め尽くすのにどれだけの時間と労力を費やすかを
見る人に想像させて完結する部分があるだろう。

苔は特別な植物なのだ。

現在においてなかなか手にすることができない最も象徴的なものがお金だとしたら、
苔を尊ぶ民族は、国歌や庭だけではあきたらず、紙幣にまで苔を生やしてしまったのだろうか。

 
 

◎写真協力
大漁旗の写真:女川みなと祭り|マイノートblogより

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