2014年8月

看板コレクション

dora

街中にある看板って、プロの人がデザインしたのか、
素人の人がデザインしたのか、判断しづらいものも多く、
まえに紹介したマッチのような大らかな味わいがあって僕はけっこう好きです。
看板でもマッチでも、社会的に許容されているってことは、
ある意味そういった種類の新聞広告が許容されることと本質的には変わらないと思うので、
日本ってのは大らかと言うかいい加減と言うか、ゆるい国だなと感じます。
 
もちろん他国にもゆるい部分はあると思います。
しかし日本とは違っていて、例えばアメリカや中国のゆるさって基本的に
「気にしないってこと」の延長線上にあるのではないでしょうか。

前にアメリカで暮らしていた時に感じたのは、
ゆるいというよりは、そもそもがおおざっぱな国だなということです。
文房具ひとつとっても、インクはにじむし、固い消しゴムはよく消えない。
おそらく多民族国家で国土が広い国で暮らしていると、
細かいことはどうでもよくなるんだと思います。
だって気にするレベルが人によってだいぶ違いますから。

繊細さって社会性の一種なので、合意形成が得られないとすると、
巷間ではそういったものはないとされていくわけです。
(あったとしても限りなくないものとされていく)
アメリカ人がぶきっちょなのも、本質的に不器用なのではなく、
不器用さを改善しようとする合意形成が、社会の中でなされていないからだと思われます

話はそれますが、日本人が器用なのはおそらく稲作が関係していているのではないでしょうか。
お米をつくる文化圏では、きちんと等間隔に植えたり、
効率よく刈り取ったりしていくことが求められ、
自然と器用であることの合意が社会で形成されたのだと思います。

アメリカと同じく、大国で他民族がひしめく中国に行った際も、
気にしないって意味では似たような印象を受けました。

一方の日本のゆるさは、鈍感さの延長ではなく、
気にしているけれども、まあいいかという「寛容さ」から来てるような気がします。
たぶん日本人の宗教観が影響していて、
アニミズムから派生する多神教が日本では主流であったことが、
さまざまなものを受け入れる土壌につながったのではないでしょうか。
ま、もちろんそれだではないですが…。 

だいぶ前置きが長くなってしまいました。

一番上の写真は中野区で採取しました。強引な「ね」の形がとてもユーモラスですね。

chuka
これは中華街で採取。「華」の文字で、中国の家の形を表現しているところが秀逸です。

derumeru
アパートの看板にしてはけっこうな労作です。デメテルとはギリシャ神話の女神らしいです。

niku2

niku
方向性が違う「肉」2種。漢字は上の「華」もそうですが、対称系だとデザインしやすいですね。

pss
洋服屋の看板。ポストモダンのようにも見えるし、周到に計算された前衛的なデザインにも見えます。

気取らない等身大の表現を見ていると、街中の看板って意外とその国の
顔付を表しているのではという気がしてきました。

日本はさしずめ前述のなんでもありな顔でしょうか。
 
 

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