2014年9月

対談しました!

bussan

この度、デザイン物産 2014(現在Hikarieで開催されています)をまとめた書籍の中で
ナガオカケンメイさんと対談させていただきました。

ナガオカさんとは同じ原デザイン研究所の出身なのですが、
残念ながら在籍はかぶっておらず、
僕が入社する少し前に辞められてD&DEPARTMENTを設立されました。
久しぶりにお会いしましたが、いまや押しも押されもせぬスターですね。

対談内容はというと展示品にもなっている加茂錦を中心に、
デザインしすぎの境界線や民藝の話などをしました。
ナガオカさんと民藝の関係性は前々から気になっていたので
その辺をお聞きできたのは良かったです。
10月1日ころから書店に並び始めるようなので
書店に行かれた際はぜひご覧ください。
 

掲載されています!

new pattern

現在発行の書籍に&A伊藤典礼が掲載されております。
書店に行かれた際に手に取っていただければ幸いです。

あたらしい模様・柄・パターンのデザイン
BNN/A4判変型/176ページ

 

「おしゃれ」と「かわいい」禁止令

ときどき自分のデザインを「おしゃれですね」と評されることがある。
むろん褒める意味で発言されているのだと思うが、
特にそういう方向を目指していない身としては、「うーむ」とひとり考え込んでしまう。
こちらとしては、そう言われると、なんというか、
デザインの表層だけを語られているように感じてしまい、
失礼ながら、この人はデザインってものをまるでわかってないんじゃないかと判断してしまう。

デザイナーには、「おしゃれ」というよりも、もっと切実で複雑な問題解決を求められる場合が多い。

例えば、もし人工心臓をデザインするとしたら、
「おしゃれ」などというキーワードは浮かんでこないだろう。
人工心臓に求められるのは、本物の心臓に代わる純粋な機能で、
「おしゃれ」かどうかはその本質には関係ないからだ。
スキューバ用の酸素ボンベでもいいかもしれない。
深海で確実に酸素を送り出さなければいけないボンベが、
「おしゃれ」かどうかの判断でデザインされることはないと思われる。

いささか極端な例かもしれないが、命と向き合わないといけない製品は
常に切迫した命題を抱えている。

では逆に「おしゃれ」が求められるデザインとはなんだろう。

すぐに思いつくものとしてファッションの分野があげられる。
扱う商品の「おしゃれ」率が高いため、デザインも同様に「おしゃれ」である必要がある。
飾り立てることや機能から乖離したおしゃれさがこの業界では重要視されることが多い。
(もちろん肯定的な意味です。装飾性はデザインの本質の一部を突いていると思うので)

しかしそういった分野においても、例えばブランドのロゴをきちんとデザインするとしたら、
なんとなく「おしゃれ」というだけでは機能しないと思う。
グローバルな展開を考えていたり、普遍性を求めたり、
決まったターゲット層を確実に狙ったりする場合は、
世界を冷静に捉えられる客観性や幅広い視野、タイポグラフィに関する深い知識と技術、
あるいはごく刹那的に流行ってるものへの感応力なども必要になってくる。
狭い範囲で趣味的にやっているブランドならいざしらず、
ビジネスとしてファッションに関わるなら、
「おしゃれ」かどうかという判断は最後の方に来るものだと思う。
ルイ・ヴィトンやプラダの広告が「おしゃれ」かどうかの判断だけで、
決められているとはとうてい考えられない。

僕自身のことを申し上げると、例えば日本酒をデザインする際には、
まずマーケットの動向や商品の特性を鑑み、連綿と続く日本酒文化や伝統性も考慮に入れ、
一番適した日本酒のデザインとは何かと考えることが多い。
日本酒は伝統的な側面も備えているので、マーケットで求められる現代的な答えに加えて、
歴史的な縦軸の答えも必要になってくる。
手がかりを探すために伝統的な文様、文字、家紋の資料や文献などを漁っていると
自分がデザイナーなのか研究者なのかわからなくなるときがある。
自己表現からはだいぶ遠く、ましてや「おしゃれ」かどうかという判断が
頭をよぎることは、いままでもこれからもないと思う。

つまりどんな分野に限らず、感覚的に「おしゃれ」かどうかで決定される事柄は
そんなに多くないので、それを評して「おしゃれ」と言われると、違和感があるのだろう。

若い女性が口にする「カワイイ」という言葉にも同じような印象を受ける。

さすがに自分のデザインを「カワイイ」と表現されることはないが、
いろんな所で乱用されるこの言葉は、現在、さまざまな対象を飲み込んで行っている。
草間彌生を見ても、コース料理の最後に出てくるスイーツを見ても、ゆるキャラを見ても、
パリに行ってエッフェル塔を見ても、笑点の歌丸師匠を見ても、「カワイイ」と発言されると、
表層だけをひたすら上滑りするこの言葉の一体どこに中身があるのか考えてしまう。

「おしゃれ」と「カワイイ」に共通する違和感の根源は、
感じたことを自分の言葉で表現しない態度から来るのだろう。
語彙の貧困さというよりも、思考停止から抜け出さない怠慢さが透けて見えるので、
言われた方としては気持ち良くないのだと思う。

もちろん自分自身もそれらの言葉を安易に使うことがある。
自戒の意味も込めて、しばらくの間「おしゃれ」と「カワイイ」という言葉を封印してみようか。
語彙が増えるというよりは、いろいろと考えるきっかけになりそうである。

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