今年の抱負

昨年下記のようなことを抱負としていました。

知識を増やし過ぎることは、理性の声だけを大きくし、
感性の声を聞こえにくくすると思います。
バランスを失することから全ての原理主義が始まるのではないでしょうか。

なので今年は(というか今後ずっとですが)仕事に関しての知識は
追求しすぎるのではなく、ある程度知らない部分——知識のノリシロ——を
意識的に残すようにしようと思います。

知識が多過ぎると頭でっかちになり、感覚的なアウトプットがうまくできなくなるので
ほどほどにとどめておこうという趣旨のものですが、
一年経った現時点では逆に「物事」はきちんと知った方がいいと考えるようになりました。

たしかに「知らないこと」から生まれる自由さは魅力的です。
のびのびとした子供の絵などは目を見張るものがありますが
本人が目的意識を持ち始めると(例えば写実的に描こうとすると)
その自由さも往々にして失われて行くものだと思います。
それは自己満足の範疇を出ることがない、かりそめの自由さなのです。

記事中の寿司というカテゴリーで考えてみるとわかりやすいかもしれません。

一度もきちんと修行したことがない職人は、独創的な寿司をにぎれるかも知れませんし、
それが素晴らしいと賞賛されることもあるでしょう。
知らないのが強みというか、本家ではタブーとされることでも平気で手を出せるので
アレンジメントの領域が広くなるからです。
しかし日本人が食べてみて「これは寿司じゃないね」と思ったら話は変わってきます。

プロフェッショナルに求められるのは、
どこから攻められても落城しない城を築ける全方位的な専門性だと僕は考えます。
いくら美味しい寿司を握れるとしても、本家を満足させられない職人が本当の職人かと聞かれたら、
首を縦に振る自信は僕にはありません。
一方きちんと修行した職人がアレンジした寿司なら認められる可能性は高くなるでしょう。
なぜなら寿司が何なのかという本質を知っているからです。
本質を知って初めて、意味のあるアレンジができるのであって、
知らなければ、子供の絵と同じくただの自己満足で、終わってしまうのだと思います。

大事なのはきちんと「本質」にたどり着くこと、そして「自由さ」も掴むということ。
中途半端な理解ではかえって動きづらいでしょうし、
知識が多くなると権威主義や保守的な傾向が強くなる危険性もあるので、
いつでも予定調和を壊せる自由さも失わないようにしたいです。
なんといっても本質を知っているからこそ大胆になれるのですから。

つまり知識とは不自由になるためではなく、自由になるためにあるんですね。

一年前と全く逆なのでブレまくってると突っ込まれそうですが、
今後は躊躇なく物事を追求して行こうと思っております。
ここだけの話、マニアックに追求していくことは大好きなんですよ。

以上、今年の抱負でした。

 
 
 

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