センスとはなにか? 後編

この仕事をしていてつくづく感じるのは
デザインは機能して初めて価値があるという、とても当たり前のことである。
自分では素晴らしいパッケージのデザインができたと思っていても
お客さんに買ってもらえなければ市場での価値がない。

社会に出て間もない頃は、クライアントに理解してもらえずお蔵入りになったり、
マーケットには出たが売れなかったりしたことがよくあった。
しかし少しずつ経験を積むことでその確率は低くなっていった。

それは自分の中に「世間」というものが出来上がるからではないかと考えている。
もちろんデザインのスキルが上がることも関係していると思うが、
社会人としてさまざまな経験をすることで、世間を捉えるイメージがはっきりし、
前よりも的確にセンスを発揮できるようになるからではないだろうか。
「世間」は常識、一般教養、中庸の感覚などとも言える。

デザインの仕事を始めた頃は、まだ学生アガリで、世の中を必要充分に把握できていない。
自分ではつかめていると思っていても、実際はそれまで親の扶養の元に生活していたわけなので、
例えば、一人の人間が生活することにどれだけのコストがかかるのかという
社会人としての一番基礎的な感覚も欠けていた。

しかし仕事を通じ、だんだんと世間というものに対する認識が深まると自分の中に基準ができてくる。
世の中の人がどういうものを求めていて、どういうものを美しいと感じ、
どういうものであれば喜ぶのか、ということがわかるようになる。

その基準を元に、どれくらいの表現なら的確なのか、
距離を計りながらデザインができるようになるとズレや温度差が少なくなる。
もちろん世間というものに普遍性はなく、捉え方にも個人差があるので
だいたいこれぐらいだろうと分かることが大事なのだと思う。

なので才能には溢れるが世間を正しく認識していない人と、
才能は普通でも世間を正しく認識している人とを比べると、
往々にして後者の方がセンスが良いことが多い。

デザインとはつくづく一般教養だと思う。

この「世間」という感覚は、もちろんデザインの仕事以外でも同様だ。
いくら画期的なビジネスモデルを思いついたとしても、現実と乖離していては機能しない。
ビジネスの場合はデザインのような直接的な表現がないので、
距離感とセンスの関係はより密接だろう。
 
 
総括すると、いいインプットを持っていて、世間や常識が何であるかわかっている人が
「センスがいい」のではないかと現時点では思っている。
しかしそうは思ってみても、どうやったら「センスがいい」人になれるのかは分からない。

ごく一部の人を除いて、ほとんどの人は生活するために社会に出て仕事を持つので、
「世間」というものは自ずと身に付くと思われる。

難しいのは、どうやったらいいインプットができるのかということだ。
なぜならいいインプットをしたいと思っていても、
なにがいいインプットなのかわからなければそれは可能にならないからだ。
もちろん知識があれば何がいいインプットなのかある程度選択することはできる。
しかしどれだけいい情報に接したとしても
自分側にその情報を感知するレセプターがなければ受容できない。
いいインプットをするにはそもそも感度が高くないといけないし、
感度を高くするにはいいインプットが必要というパラドックスにどうしても陥ってしまう。

しかしただひとつだけ言えるのは、受容体としての感性は使わないと退化するということだ。
赤ちゃんは五感の全てを開いて産まれてくるが、大人になるにつれて感性を意識的に閉ざしていく。
年齢的には20歳くらいから、どの感性を使い、どの感性を使わないか、
取捨選択するようになると思う。
10代後半が人生の中で感性が最もみずみずしく、ファッションでも音楽でも色んなことに興味があり、
五感をフルに活用し生活している。

その頃の水準を保つことが、ひとつの「いいセンス」のあり方なのかもしれない。
  
センスとはなにか? 前編
 

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