2016年4月

既視感があるが新しさ

アイディアを練る際に、普通のデザイナーなら
新しいデザインを目指して考えることが多いだろう。

世界が驚嘆する新しいものを、なんとか生み出したいという気持ち一心で、
多くのデザイナーは日々仕事をしているのだと思う。

ただ新しいという言葉の定義がやっかいで、世の中にはいくつかの「新しさ」が存在する。
そのことについてちょっと触れてみたいと思う。

 
1.消費される新しさ

ひとつめに挙げるのは、新しさのためだけの新しさである。
新しさが自己目的化しているケース。

車などのモデルチェンジの多くはこれに該当する。

丸まっていたフォルムを少しとがらせてみたり、色や質感を微妙に変えてみる。
何か要素を加えたり引いたりして、新しくなったように見せる。

この種の新しさはデザインの最も表層だけで語られることが多く、
いくら剥いていっても核心に辿り着かないタマネギの皮のようなものである。
全て飽きられないために行う作業なので、
デザインの本質とは関係なく、結局消費されて終わる。
コンビニに並ぶ商品も、この手のデザインが多い。

 
2.改良のための新しさ

ふたつめは改良していく新しさ。
市場に出た後、段階的に改良を加えて完成度を高める作業。

分かりやすい例としては、アプリやOSのアップデート。

1に似ているように思えるが全然違う種類のものである。
ひとつめの新しさの方向性はデタラメなので、
回り回って出発点に戻ってくるということも起こり得るが、
この新しさは改良という方向を目指している。

自分でパッケージをデザインする際にも
商品の発売後にこの作業を行うことがある。

 
3.本来の意味でクリエイティブな新しさ

世の中にはまだ存在しておらず、発表されることで世界が豊かになる新しさのこと。

掛け値なく素晴らしいもので、こういったデザインを生涯にいくつ生み出せるかで
デザイナーの値打ちが決まってくるだろう。
ゼロからイチを生み出す作業なのでむしろ発明に近く、
iPhoneのようにデザイン史だけでなく、その後の歴史まで変えてしまうこともあり得る。

しかしかかる新しさについて掘り下げてみると面白いことがわかる。

話がややこしくなるが、この新しさは実は新しくないものなのである。
なぜなら人々はこの新しさの到来を無意識の内に予感しているからだ。

これは新しい、と人々が評価するのは、
社会に潜在する問題意識にベストな解決法が提示された時だ。
奇想天外な新しさではなく、日常の中で気になっていたり、疑問に思っていることに対して
デザイナーがうまく応えられたときに、社会は新しい価値だと認めてくれる。
だからこの新しさはいつも既視感とカタルシスをともなって訪れる。

他の芸術も同様で、例えば映画や小説で感動した時、
欠けていたピースがぴたりとハマるような感覚をおぼえないだろうか。
優れた物語は、自分が精神的な欠乏状態であることに気付かされ、その穴を埋めてくれる。
初めてのはずなのに、既視感があるのは、受け手側の準備が整っているからだ。
テトリスで言えば、ブロックを全消ししてくれるピース待ちみたいな状態で
新しさの到来を、無意識の内に待ち構えているのだと思う。

既視であるが新しいという矛盾が人々を惹きつけるのだ。
 
 

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