2016年6月

高級と上質

最近「高級」と「上質」という言葉が気になっている。
似ているようでだいぶ違う。

高級は「高い階級」みたいなことなので、classについての言葉だろう。
端的に言うとお金を払うことによって得られる
ステイタスのようなものが高級なんだと思う。
高級ブランド、高級車、高級マンション。
お金を使えば使うほど「高い」classが得られることが多い。

いっぽうの上質は「質が上」なだけにqualityについての言葉だ。
上質な音響、上質な睡眠など品質が良いものを表す。
高級な音響とか高級な睡眠とはあまり言わない。 
こちらはお金を出したからと言って必ずしも上質なものが得られるわけでない。
なぜなら上質とは何かという情報が必要だからだ。
何が上質なのか知らなければ、たどり着けないことが多い。
例えばデザイナーとして上質な紙を求める際には、風合いだけでなく、
印刷適正や加工のしやすさなどの知識が必要になってくる。

世の中には

・高級で上質なもの
・高級だが上質でないもの
・上質だが高級でないもの
・高級でも上質でもないもの

が存在する。

自分自身はこれまで上質さを志向してきたが
高級という方向を目指すことはあまりなかった。
実体がよくわからないし、ただお金を払えさえすれば手に入るものには
価値がないと思っていたからだ。
もっと言えば高級という言葉を心のどこかで軽蔑していた。

しかし最近は高級なものも世の中に必要だよなあと思うようになってきた。

例えばいろいろとお世話になった人にお礼をしたいと贈答品を選ぶとする。
その際に上質なものは必要条件であるが十分条件ではない。
感謝の気持ちを表したい場合に、いくら上質だったとしても
日常的にありふれているものを渡すことはしない。
ちょっと特別な品(しな)を渡そうとするだろう。

あるいは記念日などに温泉にでも入ってゆっくりしようというときには
上質な宿より、高級な宿に泊まる方がしっくりくるだろう。
いくら上質だったとしても、普段と同じような時間は求めていないからだ。
そういったときには、手が込んだ料理も食べたいし、丁寧なホスピタリティも受けたい。

つまり人々の生活はハレとケで構成されているので
ハレの時間においては高級という役割が大事だと考えるようになったのだ。

デザインは日常で使うものなので、
これからも仕事として上質さを目指して行くことには変わりはないが、
高級という在り方の中に隠された非日常の意味について考えている。

上質さと同じように、きちんと情報を知っている人にしか
手にいれることができない高級というものが確かにあるのではないだろうか。

 

さよなら佐藤先生

16D0-620
 

大学時代の恩師、グラフィックデザイナーの佐藤晃一先生が亡くなった。

佐藤先生のデザインについては、完全に理解していたわけではないが、
作品制作においてとても多くの助言をいただき、自分の人生に大きな指針を与えてくださった。

心より御冥福をお祈りいたします。

佐藤先生には在学中はもちろんアドバイスをたくさん頂いたが、
卒業後に作品を持って事務所に遊びに行った時のことを、いまでも鮮明に覚えている。

それは確か独立して間もない頃だった。

仕事もあまりなく、暇で、しかしデザイナーとしての志だけは必要以上に高く、
いいデザインとは何か、そんなことばかりを日々考えあぐねていた。
なにしろ時間だけは潤沢にあったのだ。

本郷にある事務所で作品を見ていただいた後、しばらくおいて佐藤先生はこう仰られた。

「君ね、デザインはいいと思いますよ。しかし世の中の人はデザインなんて見ないのです。
デザインを見るのはデザイナーだけです。
そのあたりのことがわかればもっと仕事が来るようになると思いますよ。」

このひとことに、頭を殴られたような衝撃を受けた。
そうか、普通の人はデザインは見てないのか…。

確かにそれまでいいデザインとは何かと一生懸命に考えていたが、
あくまでデザイナーの視点であって、受け手側がどう感じるかあまり考えることはなかった。
当たり前で簡単なことのようだが、視野が狭くなり煮詰まっていた自分を
その時ようやく、客観視することができた。

だからといって、その後すぐに仕事が増えることにはならなかったが
いだたいた言葉を胸に秘めながらデザインしていると徐々に仕事は広がりを見せ始めた。

歯に衣きせぬ物言いからか、佐藤先生は怖いという意見が周りでは多かった。
しかし自分は一度たりともそんなことを感じなかった。
カミソリのように鋭利な考えを、包み隠さず話されるので、
怖いとか厳しいなどの意見もあったのかもしれない。
けれど作品をつくる上ではこれほどありがたいことはないと僕は思っていた。
名医に病状を診断される患者のような心持ちで、いつも佐藤先生の講評を受けていた。

昨年の初めにもまた事務所に伺って作品を見ていただいた。

どんな切れ味鋭いアドバイスをいただけるのかドキドキしながら言葉を待っていたが、
「もう僕に言えることはないですね」とだけ仰られた。
なんだかちょっと悲しいような、少し嬉しいような気持ちになり「はい」と小さく返事をした。

いまや恐ろしいことに自分も教える立場にいて、学生相手に日々煩悶している。

厳しさというのは諸刃の刃で、その扱いがとても難しい。
厳しさが薬になるか毒となるかは学生次第だからだ。
最初は毒だと思っていても、のちに薬として効いてくることもあるかもしれない。

そういう意味で佐藤先生からいただいた言葉は、卒業してだいぶ時間が経ったいまでも
薬効が長い温泉に入浴したのと同じように、
じわじわと体の芯まで温め、時には間違った進路を正してくれる。

その良薬と処方の仕方はデザイナーとしての指針になるだけでなく、
先生としてのあるべき姿も示していると思う。
 
 

※冒頭の画像は佐藤先生の作品の中で一番好きなポスター「NEW MUSIC MEDIA」
 

最近のコメント