すいせい

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デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです

 

才能とは速度のことなのか

 

ピアノを演奏する場合、ショパンコンクールに参加するなどの抜きんでた才能は別にして、
ほどほどのクオリティならば、時間と労力を費やすと、誰でも演奏できるようになる。

 

数学が苦手でも、時間をかけてていねいに計算すれば、得意な人が瞬時に出す答えにも近づける。

 

走るのが不得意だったとしても、育てるのが上手なコーチにつき、
手足の振り方や筋力トレーニングに地道に励めば、ある程度は早く走れるようになると思う。

 

そう考えると才能というものは、時間をかければ誰でもできることに、
何倍も早く到達できる能力と言い換えることができるのかもしれない。

 

絶対自分には無理だと思ってしまうのは、才能がある人たちが長時間かけたからだろうし、
ある種永遠に近い時間を獲得したものだろう。

 

全く向いていない、才能がないってのは、
一生分の時間があっても到達できないということを意味しているのかもしれない。

 

 

 

平面と立体と

 

立体的であるとは、動いていること。

平面的であるとは、静止していること。

 

そもそも動きがともなわないと立体を認識できない。
空間を移動してはじめて立体か平面かわかる。そして移動には時間軸も必要になる。
人間の目は一瞬で立体を識別できているが、それはあらかじめ2点間を移動できていてるから。

 

グラフィックデザインはもちろん平面。

時間と空間を捨象することで得られる世界。立体>平面ではない。

ある意味、立体物は時間と空間に依存することで成立している。
時間と空間がなくても魅力を失わないのがグラフィックデザイン。

 

 

 

シグネチャーは西洋ではサイン、東洋ではハンコ

 

西洋人は曖昧さを嫌う。
割り切れないニュアンスや非言語的なものを抱えることがあまり好きではない。
いつもyes or noをはっきりさせたい。

 

そのことは手で書く段においても現れていて、
筆を使い、線の太さやカスレやにじみなども委ねてしまう書道に対して、
カリグラフィは平べったいペンを用いて線の太さや角度を規定する。
意図的に淡くしたり、にじませたりって表現もあまり見かけない。

 

しかし署名を表す段になると逆で、西洋は手書きという曖昧さを含んだ表現になり、
東洋ではハンコという規程されたものになる不思議。

 

 

 

大きな違い、細かい違い

 

物事を突き詰めていくと、最初はわからなかったニュアンスがわかるようになり面白い。

 

専門性には、ある分野における微差を追求する傾向があるが、
それまで見えてなかった微差が見えるようになるのはたしかに成長の現れだと思う。
ただマニアックになればなるほどその沼は深くなり、
ほんのわずかな差に必要以上に大きい意味を感じてしまう場合もある。

 

その差に捉われると素人にもわかるような大事な差に気付けない危険性も出てくる。
そのあたりが専門性を追求する難しさだろうか。

 

 

 

和火やってます。

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