すいせい

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デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです

台湾の旅行記(というほどでもないですが)をアップしたことに触発されて、
以前モロッコ・スペインを旅行した際に書いた記事を再掲載したいと思います。
モロッコ・マラケシュから陸路でスペイン・バルセロナまで、一部飛行機も使いましたが
2週間くらいかけて陸路を移動しました。

4つの記事を10月中にアップ予定です。

 

以下本文

 

 

昼過ぎには目的地のモスクに着いている予定なのだが、時計は14時を回っている。
左手から来たので、この先の大きな通りを進めば目的地のはずだ。
しかし通りはすぐに行き止まりになってしまった。何度同じようなことを繰り返しているのだろう。
ガイドブックに、モロッコのメディナ(旧市街地)はまるで迷路のようだと書かれていても、
地図さえあればなんとかなるだろうと高を括っていた自分が甘かった。
目的地はおろか宿まで戻る自信もない。

 

ふと、時空間がねじ曲がった迷宮という呼称が浮かんでくる。

かつて映画で見たような、あるいは夢の中で経験したような、

どうやっても目的地にたどり着けない迷路に迷い込んでしまったようだ。

もちろん現実に時空間がねじ曲がっているわけではないが、

高低差がある通りは細かく折れ曲がり、分岐し、広くなったり狭くなったりを繰り返しているので、

方向感覚や空間を認識する感覚が少しずつ麻痺して行く。

 

現在地がわからないので、メディナでは地図は機能しない。

ランドマークとなる特徴的な建物は少なく、似たような印象の通りばかりが続く。

居場所を把握する一番簡単な方法として人に訪ねる手段もあるが、それも有効ではない。

全ての人が英語で書かれた地図が分かるわけではないし、

例え公用語のアラビア語で書かれていたとしても、

そもそも地図を理解するには、地図を読めるリテラシーが必要なのだ。

共通言語としての地理が共有されていない場所では、

地図自体が機能しないことがあるということを、今回モロッコに来て初めて知った。

あるいは親切に教えてくれる場合もあるかもしれないが、

その情報が正しいかどうかはわからない。

それに——これは実際に経験したことだが——意図的にウソの情報を掴まされることもある。

 

通りにはさまざまな物が売られている。

それらの多くが、元の空間がどういう形なのかわからなくなるくらいの密度で並んでいて、
その混沌さも観光客を迷わせる。

商品のほんの一例を書き記すと、野菜、果物、生きている鶏や鳩、羊肉、魚、スパイス、

パン、お菓子、衣料品、ドライフルーツ、陶器、革製品、電気機器、編みかご、

絨毯、アクセサリー、銀細工家具、木彫の扉、アルガンオイル、石鹸、楽器、薬など。

工房もあり、ハンマーを打つ音があたりに大きく響いている。

飲食店から食材や料理の匂いが漂い、通りに地層のように溜まっている。
小規模の店舗が密集するこの広いエリアに、一体どれくらいの数の店が存在するのだろう。


 

道端でミントの束を売っているおじいさんの脇を、重そうな荷物を背負ったロバがすり抜けて行く。

モロッコではロバをよく見かける。ペットではもちろんなく、家畜として。

確かにこの入り組んだ路地に荷物を運ぶには、ロバ以外に適した手段はないように思える。

 

マラケシュやフェズなどのメディナと呼ばれる旧市街地は、
碁盤の目のように通りが交差する街とは全くの正反対のコンセプトでつくられてきた。

後者が効率がよい導線を目指して計画されているとすると、

前者は逆に効率が悪い導線を目指して計画されている。

効率が良い導線をつくれなかったのではなく、計画的に効率を悪くしている。

歴史的に侵入した敵の方向感覚を狂わせ、目的地に着かなくさせる必要があったからだ。

街自体も要塞都市さながら高い城壁に囲まれる。

 

どうやれば人を迷わせられるかこの街を勝手に分析すると、

 

1.まっすぐな通りはつくらない 


2.ランドマークは置かない 


3.画一的な通りにする


4.高低差をつける 


5.とにかく路地をたくさんつくる 

 

などだろうか。

 

1はまっすぐと思わせておいて、気付かないように少しずつ湾曲させると効果がある。

4は複雑な路地に高低差が加わると何倍にも難しくなる(日本いるとあまり経験しないが)。
これだけ揃うと方向感覚に自信がある人もそうでない人も、等しく迷うのではないかと思う。

 

基本的にメディナの通りには窓は少なく、あったとしても高い位置にある。

つまり通りから人々の生活を伺い知ることはできない。

無愛想な土壁で覆われているので内部にも同じ印象をもってしまうが、

実際、家の中は驚くほど豊かだ。

僕がマラケシュで泊まった宿の内部は、光がたっぷりと入る吹き抜けを中心に、

精巧なレリーフ、細やかなタイル、塵ひとつ落ちてない床、

咲き誇る花々などで調度が整えられていた。中央には水が湧き、花が散らしてある。

まるで内部と外部に発生する落差を楽しむかのようだ。

敵が攻めて来た時に外部がみすぼらしい方が、家の中まで攻め入られる可能性が低いからだろうか。

 

リャドと呼ばれる民家を改装した宿の内部。イスラム文化の豊かさがよくわかる。

 

 

立ち止まっていてもしょうがないので歩みを進めると、客引きに革製品の店へと勧誘された。

モロッコでは一般的に値段は交渉で決まる。

商品にはほとんど値札が付いていないので、これはいくらですか?とわざわざ聞かなければいけない。

買い物の度に交渉するのは面倒くさいなあと最初は思っていたが、

この交渉には価値判断の本質が隠されているようにも感じてくる。

定価がある国では、物の価値は値段によって決まることが多い。

意識的にも無意識的にも値段から逆算して価値を判断している。

しかし定まった値段がない場合、価値を決めるのは自分しかいない。

商品が自分にとってどれだけの価値があるか、

どれだけお金を払ってもいいかという基準を持たないと、納得が行く買い物がしにくい。

逆にしっかりとした価値基準さえあれば、払い過ぎても納得できるだろう。

価値に対してコンシャスになれるのは悪いことではないと思う。


この店では革製のサンダルを購入。

 

どうやっても着かないことにはイライラするが、

もしかしたら、迷うことの方が正しいのではと思い始める。

この街は人々を迷わせることを目的に、とても長い時間をかけて進化し続けてきた。

逆にすんなりと目的地に着ける方がコンセプトに沿っていないのではないか。

ディズニーランドに行ったら楽しむのが正統な行為なのと同じように、

ここメディナでは迷うことの方が正統な行為かもしれない。

 

迷う人もそうでない人も等しく迷えるという意味でこの街のサービスは徹底している。

もちろんサービスを受けたくない人もいるだろう。

そういう人はガイドを雇うのも手だが、正しい経験も一度はお薦めする。

人を迷わせることに叡智を結集した街は、もはや現代ではエンターテイメントのひとつなのだから。


 

 

この記事は2013年11月19日に投稿しました。

 

※基本的にメディナは子供も訪れる安全な場所ですが、
 夜間の一人歩きは危険を伴う可能性がありますので自己責任でお願いいたします。


※写真はマラケシュとフェズのメディナを混ぜて構成しています。

※歴史がある分、マラケシュよりもフェズのメディナの方が面白いと僕は感じます。

 

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