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デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです

 
下記の通り、休みをいただきます。
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◎年末年始休業期間 
2019年12月31日(火)~ 2020年1月7日(火) 

すいせい 
代表 
樋口賢太郎 
 
 
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いまさらながらと突っ込まれそうだが、ここ数年印象派の画家セザンヌにだいぶ魅せられている。

 

もともと印象派は、油絵を描いていた高校時代にのめり込んでいた時期があり、
そのころはモネやボナールが描く世界になるべく近づこうとしていた。
色の鮮やかさを追い求める印象派は高校生にもわかりやすかったのだろう、
それまで写実的に描くことを追求していた価値観ががらりと変わり、
どういう色と色を隣り合わせると鮮やかに発色するか、当時そんなことばかりを考えていた。

 

その後の自分の興味は、絵画史と同じ道を辿り、抽象画、現代美術、コンセプチャルアートなどを経て、
最終的にはデザインに行き着きつくことになり、絵画を制作することへの熱意はなくなってしまうが、
とにかく高校のときはモネを筆頭とする印象派に心を奪われていたのだ。

 

ただそんな印象派にどっぷりと浸かっていたときでさえ、セザンヌの存在はどう受け止めていいのかわからなかった。
全体的に輪郭がボヤッとしていて筆致も定まらないし、
安定しているはずのテーブルに置かれた果物はいまにも床に落下しそうである。
中間色が画面の多くを占めているので、印象派の命とも言うべき色彩の鮮やかさにも欠けている。
まったくひどい言いようだが、デッサンが狂っている鈍い色合いの絵だとしか当時は認識していなかった。
もしかして実物を見たことがないからかとも思い、
上野に来ていたバーンズ・コレクションで初めて対面したが、その印象は変わることはなかった。

 

それから月日が流れて2012年に国立新美術館で『リンゴとオレンジのある静物』という有名な作品を見る機会があった。
上記のように自分にとってセザンヌは評価が高いほうではなかったので、他の作品を見にいったついでだった。
しかしなにも期待せずに出会ったときの衝撃はいまだに忘れることができない。

 

絵は遠くからぼんやりと目の端に入ってきて、その段階でも何か美しいものがあるなと察知できた。
おや、なんだろうと思い、順路を無視して近づいていくと、美しい絵が目前にあった。
その絵には、いままで見たことがない奥深い方法で、リンゴやオレンジが描かれていた。
美しさの密度が濃く、ぎっしりと詰まっており、それらが幾重にも折り重なっていて奥が見透せない。
テーブルに置かれたリンゴの影の部分を見つめているとさまざまな色が現れては消え、点滅しているように見える。
さながら光を受けた宝石が回転しながらキラキラと輝いているようだった。
時間軸はないはずの絵画なのに、タイムラインのようなものを感じるのが不思議で、
まったく初めての体験に、いやはや、すごいものを見てしまったなと驚愕した。
いっぽうでその深遠さはどこから来るのだろうかと、魅力を言語化できないもどかしさがあった。

 

その後、何点か作品を見たが、質量ともに十分でなかったので言い表せずにいたが
現在、上野に来ているコートールド美術館に行き、セザンヌの秘密が少し理解できるような気がした。

 

『鉢植えの花と果物』という静物画を見ていたときだった。
鉢植えなどが乗せられた白い布が青色とも薄茶色ともつかない魅力的な色合いをしていた。
印象派の画家は、色が濁ることを嫌うので青に茶色を混ぜることは少ない。
しかしセザンヌはそのことにあらがうように色を混ぜていた。

 

画家がモチーフと長く向き合う際に、光の具合で、布が青に見える場合もあるし、薄茶色に見える場合もあるだろう。
一般的な印象派の画家はモネしかり、魅力的に見えた瞬間を捉え、例えば青のみで表現する。
しかしセザンヌは瞬間的な表現に飽き足らず、まるで長時間露光のように、
モチーフの魅力を可能な限りキャンバスに定着しようと試みたのではないだろうか。
その結果、青と茶色は混じって表現されたのだと感じた。

 

そう考えるとあいまいな筆致やねじ曲がった空間も納得がいく。
例えば一年という時の流れのなかで見えてくるモチーフの魅力を写し取ろうとすると
ゆらぎも必然的に定着することになるし、ある部分を集中的に描き、空間が歪むこともあると思われる。
たしかにサント・ビクトワール山を描くのだって数年かかるだろう。

 

瞬間を描いた印象派の画家は枚挙にいとまがないが、時の蓄積を描こうとした画家はセザンヌをおいて他に知らない。
なぜなら基本的に具象絵画の目的は、時を止めて瞬間を定着することにあるからだ。
ここら辺はグラフィックデザイナーの職能とも重なるが、
いかに見事に時間と空間を捨象し、平面に定着できるかが画家の才能になるのではないだろうか。

 

しかしセザンヌはその逆で、平面だった絵画にふたたび時間と空間を取り戻そうとしているように見える。

 

通常であれば彫刻や映像で表現するはずのことを、なぜ絵画で表現しようとしたのか?
もしセザンヌが生きていれば、そんな根本的な質問をぜひ尋ねてみたいと展示を見ながら思っていた。

 

コートールド美術館展

魅惑の印象派

2019年9月10日(火)~12月15日(日)

 

あと数日ですがセザンヌはぜひ本物を!

 

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