デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです
今年の抱負(というか、ご報告)
本年から鎌倉のほうに事務所を移転いたします。
土地を購入し、時間をかけて建築計画を進めて参りました。
いま拠点としている世田谷区は緑も多く、利便性も高い環境なのですが、
もっと自然を感じられる場所で暮らしたいという本能的な感覚がだんだんと強くなり、
事務所+自宅が建てられる土地をいろいろと探し回っておりました。
山だけでなく海もあるのが鎌倉を選んだ理由です。
そういった環境が与える影響がどのようなものなのかわかりませんが
自然が近くにあることで得られる豊かさをデザインに反映し、
よりクオリティが高い仕事をしていければと考えております。
家を建てることははじめての経験で、当然積もる話はたくさんあります。
コンセプトというか、どのような方針で考えていったのか、
その内容はまた別の機会に譲ることとし、転居の報告とさせていただきます。
すいせい
樋口賢太郎
※和火やってます。
※作家活動のインスタやってます。
引っ越しました
年始にお伝えしていましたように、鎌倉に移りました。
工期が遅れていたのと、内装を部分的にDIYでやっている関係で、予定よりも時間がかかってしまいましたが、
今月のはじめ頃に引っ越しました。
まだまだ未完成を残していますが、住みながら少しづつ完成させていこうと考えています。
今回の家づくりで意識したのは、日本的な建物にしたいということ。
◎素材コンシャス
◎シンプル
◎地域性
これらの3つの要素を日本的と捉え、指標としました。
素材コンシャスとは茶の湯から続く、日本人独特の素材に対する感性で、もともとは千利休が見出したと考えています。
自然が豊かな環境で育った日本人のDNAには素材を尊ぶ感覚が刻まれているのではないでしょうか。
例えばそのことは、寿司屋のカウンターが、白木の一枚板でつくられていることに象徴的に表れています。
諸外国であればペンキを塗ってしまうところを、あえてそのままを楽しむ。
今回建てるにあたって、RC造を選んだのですが、それはコンクリートという素材を最大限に活かそうと考えたから。
木材の素材を活かす在来工法の選択肢も考えましたが、高気密・高断熱の面からRC造となりました。
なるべくたくさんの素材を使うことも意識しました。
コンクリート、石、木、紙、金属など素材が豊富な切り口も日本的だと考えています。
そして大事なポイントとしては塗装をしないということ。
塗装してしまっては素材感が活きません。
黒色が欲しいと思ったら、黒の石材を使う、茶色が欲しいと思ったら木材を使う、など
色を塗装で表現しない建物としました。
(木材などを保護するためにオイルやウレタンを塗布することなどは例外です)
シンプルとは素材感を活かすということ。
せっかく素材を活かそうと思っても、白木のカウンターが
レリーフでびっしりと埋め尽くされていると、素材の良さを享受しにくくなります。
桂離宮をはじめとする日本の伝統建築がなぜシンプルなのか、その答えも素材を活かす必然と考えると見えてこないでしょうか。
シンプルさと素材感は表裏一体の関係にあると考えています。
居住する地域にはそれぞれの気候風土や文化があります。
沖縄と北海道では当然求められる機能が異なるため、同じ建物を建てることはできないでしょう。
あるいは無理やり建ててしまっても快適ではないと思います。
その地域での快適さを素直に追い求めていくと自ずと地域性が出てくると思います。
以上ひとつでなく、3つを掛け合わせることで、日本的な建物が出現すると考えています。
そして総合的には、新聞社が年末にくれるようなカレンダーを壁に貼っても成立する建物を、ひとつの理想としていました。
カバーを付けない剥き出しのティッシュをそのまま置くということでもいいですが、
調和を求めすぎず、雑多に暮らしても受け入れてくれる懐の深さがあるという意味合いです。
どうやったらそういう建物をつくれるのか建築家に相談したところ、
構造を見せられる建物になっているか、そしてその構造を見せているかではないかと解答いただきました。
例えば合掌造りの家は新聞社のカレンダーを貼ってもビクともしないでしょう。
なぜならば構造を見せる前提で手を抜かずつくられているからです。
逆にいま現在量産されている経済性を優先した家は、プレカット材をボルトやネジで締めるだけだったり、
接着剤やタッカーなども使われており、躯体をあらわにはできません。
やみくもに構造を見せればいいということでもないと思いますが、機能美である梁や柱が露出しているほうが、建物として魅力的に見え、
そのことが懐の深さに繋がるのではないでしょうか。
構造をそのまま見せることができるからというのもRC造にしたひとつの理由です。
未完成なので全体をお見せできないですが、できあがったらまたアップしたいと思います。
※和火やってます。
※作家活動のインスタやってます。
鎌倉生活
まだまだ落ち着いてはいないですが、4月から鎌倉での生活がスタートしました。
ざっと2ヶ月くらいの感想としては、まあこれは想定内でありますが、
自然がまわりに溢れていることが、まずはとても素晴らしいと感じています。
それを求めて移ったので当たり前ですが、息がスムーズにできるというか、
細胞が喜んでいる感覚というか、QOLは確実に良くなったと思います。
家から10分も歩くだけで、上のような森?山?があり、
足を伸ばせば、由比ヶ浜や逗子のほうには海が広がっています。
いま住んでいるのはいわゆる谷戸と呼ばれるところで、三方向を山に囲われています。
谷戸とは、やと、やつとも呼ばれる地形で、リアス式海岸のように、山に筋を切り込んだ三角の形をしており、
鎌倉にはそういった谷戸が無数あると言われています。突き当たりはだいたい農業が営まれていることが多く、
このあたりも畑となっています。
仕事場から見える景色。
いかつい岩が露出していますが、実際はやわらかい砂岩で容易に削ることができます。
平地が少なかった鎌倉では、お墓を建てる際に、こういった崖を削ってやぐらと呼ばれる墓地にすることがありました。
この扉の奥はお墓でなく、炭焼き小屋として利用されていたとのこと(お墓でなくてよかった)。
仕事の合間などに目をやると気分転換になり気に入っている風景なのですが、
土地の一部が土砂災害地域のイエローゾーンにかかっています。
鎌倉はこの土砂災害地域がとても多く、山側に土地や家を購入する際には注意しないといけないです。
↑ ここで調べられます。
ただいっぽう海側は海側で津波の危険性もあるので、鎌倉はどこにいても気が抜けません。
もともと海の底だった鎌倉では、同じような岩肌の地形をいろんなところで目にすることができ、
大規模に削った切り通しと呼ばれる道やトンネルなどもあります。
上の写真は近所にある切り通しで、ここは現役ではないようですが、いまでも利用されている切り通しもたくさんあります。
近くのこのトンネルもノミで削ってつくられたようです。
住んでいるのは北鎌倉と大船の間くらい。生活圏としては大船となります。
北鎌倉にはコンビニくらいしかないですし、交通網も発達していないので、大船をよく利用しています。
大きい街なので、そこでおおかたの買い物を済ますことができます。
当初は大船は東海道線のひとつの駅というくらいの認識しかなかったのですが、
魚屋肉屋、八百屋、銭湯などひしめき、居酒屋やセンベロ系の立ち飲み屋も多く、いい意味で雑多混沌としていて、
なかなかディープで味わい深い世界が広がっています。
いまでも商店街が十分に機能していて、最初はまるでアメ横のようだなと思いました。
スーパーもあるのですが、そういったコミュニティで対面で買い物することが、世田谷区から来た人間としては新鮮で楽しいです。
これは想定外に良かったこと。
かつて大船には松竹の撮影所があり、映画関係者が訪れたり、近辺に住んでいたことで、
他の東海道線の駅とは違ったカルチャーが形成されていったのかもしれません。
小津安二郎も晩年北鎌倉に住んでいたことがあり、お酒好きだったので大船でもよく飲んだことでしょう。
ここは北大路魯山人が主催した美食倶楽部があった場所で、現在は緑地になっています。
美味しんぼの海原雄山のモデルにもなった魯山人ですが、かつて北鎌倉に活動拠点があり、作陶などを行なっていました。
総合芸術家だった魯山人は、さすがに土地に対する嗅覚も鋭く、跡地は北鎌倉の中でもとても気持ちがいい場所でした。
以上、2ヶ月間の鎌倉生活レポートでした。
※和火やってます。
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