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デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです

デザイン病

2024.01.31

 

何かを表現すること、それはどんな分野においてでも、
基本的には不健全さが原点になるのだろう。

 

有名なギターリストが、ひとをうっとりとさせるような曲を弾くことができるとする。
そこまで到達するには、幾度となく繰り返される練習があるはずだが
むろん誰かに頼まれてやっているわけではなく、基本的に本人の意志でやっている。

 

ギターを演奏しない自分と比べると、そこにはあきらかな差が存在している。

 

好きでないひとにとっての練習はハードルが高いのに、
ギターリストが進んで練習するのは、演奏しないと満ち足りないからだ。
演奏することでしか埋めることができない穴のようなものが心に空いていて、
その穴を補完するカタルシスとして演奏を行うのだと思う。
自己治療的な行為と想像され、そういった意味で不健全さを抱えていると言えるし、
もっと言及すればわざわざ演奏しないといけないという意味で、演奏しないひとよりも幸せでない。
芸術活動とは基本的に不幸な人が行うのだと思う。

 

でここからが本題なのだが、もしそういった不健全さを抱えているとしたら、
自分だけでどうにかしようとするのではなく、
社会の枠組みのなかで解決していくのが一番いいのではないだろうか。

 

デザイナーという職種もひとつの病である。
色や形、書体、質感などに対して異常なこだわりがある。図形への執着が著しい。
屋外に出ると、そういった気になる要素が街中に散在しているので、
精神的におかしくなってくる、とまでは行かないがやはり居心地が良くない。
デザイナーは、自分が心地よいと感じるデザインをひとつでも世の中に増やし、
少しでも住みやすい環境に整えようと考えているのではないだろうか。
下手をするとパラノイア的な状態に陥ってしまうかもしれないが
社会と接点を持ち、妄想するイメージをクライアントと共有することで、
自分も満足できるし、社会をより良くすることにも貢献できる。

 

宮沢賢治のように作品を生涯発表しないレアなスタイルも存在はしているが、
純粋芸術活動においても個展などを開催し世間と交わったほうが健康的だと思うし、
芸術に関係しない不健全さも、社会と合致するポイントを上手に探ることはとても大事なことだと思う。

 

難しいのは、趣味の分野についてで、これらは言うまでもなく自己完結していても全然問題ない。
誰に咎められることなく、自分が満たされることを存分に楽しめばいいだろう。
ただ個人的にはそれに費やす時間やエネルギーを社会に還元できるほうが
ポジティブな循環が生まれるのではないかと、最近は思うようになった。

 

今年のささやかな抱負としては、自分が持つ趣味の分野、
具体的には骨董蒐集や食にまつわることを、社会とどう結びつけられるか意識していきたい。
和火もそういったもののひとつであるが、もっと総合的に社会と接点を持てる方法に
頭を巡らせようと思う。

 

以上今年のささやかな抱負でした。

 

和火やってます。

インスタグラムやってます。

作家活動やってます。

 

 

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