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世界観のお話

2018.11.01

 

最近整体に通っており、普段は知りえない身体についての話を整体士の人から聞いている。
どんな分野でも知りたい欲求が強いこともあるけれど、なにより施術中は暇なので、
思いついた身体の疑問に答えてもらうと面白いし、タメになる。

 

元アスリートであるその整体士は、栄養学からランニング用の靴の構造まで、
専門外のことにも詳しく、長年の疑問が氷解する気持ち良さを、身体が治ることに加えて味わえている。
なんというか、整体とは、ただ単に骨を整えればいいのではなく、
総合的に生活スタイルを見直して初めて、きちんと解決するんだということを、
この医院に通うようになって初めて理解した。
そういう意味でこの整体士の姿勢は、整体だけでなく、
身体を治すことへの全体に意識が向いているように思え、理想的なのだ。

 

先日いろいろと話している中で、スポーツ選手の世界観について話が及び、
ああ、なるほどデザイナーと同じなんだなと思うことがあった。

 

一見ただ身体を動かしているだけのように見えるスポーツだが
背景にはデザイナーや画家や音楽家などと同じ意識があると思う。

 

陸上競技を例にあげるすると、陸上の選手になるには先行のいい走り方を勉強することから始めるだろう。
優れているとされる走り方を習得することで、早く走れるようになるからだ。
要するにどの分野でも同じだと思うが、優れた人をとりあえず真似ることから始めるのだと思う。

 

ただしかし、いくらその走り方をマスターしても限界があり一流にはなれない。
他の人の走り方では、ある程度のところまで行けるかもしれないが
その走り方をつくりだした本人を超えることはできないからだ。
もっと言えば同じように真似をできる人(つまりフォロワー)も世の中には珍しくないだろう。
なのでさらなる高みを目指そうとするとそれぞれの選手の世界観=オリジナリティが必要になってくる。

 

ではなぜ早く走る際に個人の視点が大事になってくるのか。

 

それはおそらく走るということがとても個人的な行為だからだと思う。
筋肉を効率よく動かして、素早く身体を移動させる。
このことは、人間にとって最も基本的な行動でありながら、自己表現のひとつでもあるのだ。
特にトップレベルの選手たちにとって身体を効率よく動かすことは、
ダンスという表現が演者の世界観を抜きに語れないのと同じく、
ある種の哲学やモノの捉え方がなければ成立しないのだろう。

 

ひとつの新しい走り方を世に提示することで、それまで正しいとされていた常識ががらりと変わってしまう。
かつてカール・ルイスが一変させた走り方=表現がのちの優れた走者によって刷新されたように。

 

これはまさに芸術の世界でも同じで、いまさらながらにスポーツもひとつの表現なんだなと気付いた。

 

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