すいせい

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このブログは
デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです

 

下記の通り、休みをいただきます。
ご不便をおかけしますが、何卒ご理解いただきますようお願いいたします。

 

◎年末年始休業期間

2022年12月30日(金)~ 2022年1月5日(木)

 

すいせい

代表

樋口賢太郎 

 

 

和火やってます。

作家活動のインスタやってます。

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卯年

2023.01.01

本年もよろしくお願いいたします。

 

すいせい

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樋口賢太郎

 

和火やってます。

※ただいまブログの引越し中です。旧ブログをご覧になりたいかたはこちらにアクセス願います。

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ファッションっぽい、スポーツ飲料っぽい、ITっぽい、イギリスっぽい、
縄文っぽい、化粧品っぽい、洋菓子っぽい、クラフトっぽいなど
具体的ではないけれど、雰囲気のようなものをつくっている「○○○っぽい」デザインの要素ってあります。

 

例えば以下の紅茶飲料のデザインが醤油っぽいと話題なっていました。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2204/09/news064.html

 

あるいはこの記事では「○○○っぽさ」をわざと入れ替えて、その違和感を楽しんでいます。
https://dailyportalz.jp/kiji/160121195543

 

自分はデザイナーなので、デザインを分析的に見ていますが、
たぶん多くのひとにとってこういう「○○○っぽさ」がデザインなんだと、最近思うようになりました。
まあなかには詳しく見るひともいるとは思いますが、だいたいは「○○○って感じ」だったり
「○○○のようだ」などのあいまいな印象で受け止めているのではないでしょうか。
プロでもない限り、形や色や素材、使われているフォントなど仔細には見ないし、ましてや分析もしない。

 

このことは別に揶揄しているわけではなく、例えばまったくの素人の分野である音楽を、
自分が楽しむときは、音階やリズム、使っている楽器の種類などにけっして注意深くありません。
あくまでいい音楽だな、好きなメロディーだなという印象論でしか受け取っておらず、
適当にというかリラックスして向き合っています。客観的に考えればとても簡単なことですね。

 

でこのことってデザインの核心をついているのだと思います。

 

いくらデザイナーが素晴らしいものができたと感じても
雰囲気みたいなものが合致しないと、世間には好意的には受け入れられないからです。
いいことではないですが、むしろ表層的な○○○っぽいデザインができていれば受け入れられます。
逆に言うとデザイナーは雰囲気もつくれないとダメなんですね。

 

以前恩師に「デザインを見るのはデザイナーだけだ」と言われたことがありますが、
いまではしみじみそうだと感じますし、多くのひとはデザインそのものではなく周辺を見ているのでしょう。

 

今年も残すとこあとわずかですが、下記の通り休みをいただきます。
ご不便をおかけしますが、何卒ご理解いただきますようお願いいたします。

 

◎年末年始休業期間
2023年12月31日(土)~ 2024年1月8日(月)

 

和火やってます。

インスタグラムやってます。

作家活動やってます。

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前々から考えていたことですが、デザインの仕事と並行して作家活動を始めようと思います。

 

テーマは「自然の表出」です。
金属や木材などさまざまな素材に生じる「自然=経年変化」に美を見出します。

 

見出したものを作品とするだけで、自分の手は一切加えません。
つくるのではなく、あくまで見つけるというスタンス。

 

まずはインスタグラムで活動を始めたいと思います。

https://www.instagram.com/kentaro__higuchi/

 

おそらく骨董好きが高じて、このような活動を始めることになったのでしょう。

 

東京のどこかで行われる骨董市に毎週のように通うのが、いつの頃からか楽しみになりました。
食に関することが好きで、いい器を求めると自然と骨董市に足が向きます。

 

なにごとも知識から入るのが好きではないので、骨董市でも自分が良いと思ったものがなんであるのか、
お店の人に尋ね、教えてもらうことから始めました。
ほとんど幼稚園児程度の知識しかなかったのが、だんだんと高麗青磁や白磁、古染付、初期伊万里など判別できるようになり、
漠然としていたマーケットにジャンルや流行などが見えてくるようになります。

 

ジャンルの違いがわかり始め、その良さが享受できるようになると、ジャンルを最初に発見した人がいたのだと気付きました。

 

骨董における名の付いたジャンルは、天才的な目利きが見出し、始まっていることが多いのです。

 

例えば初期伊万里であれば、生掛けの釉薬の鈍いテクスチャーに、誰かが美を見出したことがきっかけです。
初期伊万里がつくられたのはまだ製陶技術が確立されていなかった時代なので、技術的には未熟で、形や藍の色も不安定です。
技術が向上した新しいつくり方に移行したあとは、おそらく初期伊万里は過去の物となっていたと思いますが、
時代が下ったいつかのタイミングで、未成熟だった初期伊万里のほうが美しいという人が現れたのです。

 

骨董市に通うことで一番面白かったのは、この美を見出すという視点です。
それまでは見向きもされなかった、あるいは認識すらされていなかった分野を発見し、
提案がうまくいくと人々の価値観がガラリと変わるのです。
全く新しい世界に触れて驚くとともに、その本質とは何か考えるようになります。

 

世の中では一般的に、手を使ってなにかを生み出すことを創造だと捉える向きが強いと思いますが、
創造の本質とは視点や視座を与えることだと考えます。
印象派でも、キュビズムでも、琳派でも、メディアアートでもなんでもいいですが、こういう視点で物事を捉えると美しいですよ、
という作者の提案に鑑賞者の視点が重なった場合に、感動や共感が起こるのです。

 

そういった意味では目利きが見出す美と画家が描く美にはほとんど違いはなく、
あるとすれば後者のほうがより実際的に具体的に提示しているだけだと言えます。
審美眼という言葉がありますが、コレクターの蒐集物に人々の共感が生まれるとしたら、
それもひとつの表現にじゅうぶんになり得るのです。

 

ちょっと長くなりましたが、自分も同じように「見つける」というスタンスで活動を開始します。

 

テーマは冒頭にも書いたように「自然の表出」です。
自然が美しく表出しているさまを、手を動かすのではなく、目を動かしながら探していきたいと思います。

 

 

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寅年

2022.01.03


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