すいせい

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デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです

一瞬は永遠

2022.11.30

その画家は言った。

 

一瞬は永遠だと。
一瞬が永遠になりうるのだと。

 

たかだか数十年しか生きていない人間の絵が何百年もの間、
人々を魅了し続けるのは不思議じゃないかい?
万物のエネルギーの法則からすれば、
費やした年数と消費される年数は同じになるはずなんだよ。

 

海に臨むアトリエは絵筆や描きかけの作品などで散らかっていた。
窓の外では狂ったように草木が揺れ、横殴りの雨が降っている。

 

黙って聞いていると画家はさらに話を続けた。

 

絵筆を走らせていると、自分の能力以上の表現が出てくることがある。

時代を超越した普遍的な魅力とでも言うべきか。
その瞬間に起こるのは、生きてきた年数を遥かに超えた
永遠とも言える時間の定着なんだ。
つまり一瞬のうちに永遠を定着することができる。
だから寿命以上に絵が残ることはなんら不思議ではないんだよ。

 

話はぷつりとそこで終わった。

 

嵐が近づこうとしているのか、風雨はさらに激しくなり、
舞い上げられた砂が窓ガラスにあたるパラパラという音が聞こえてくる。

 

ビデオの早回しのようなスピードで移動していく暗雲を見ながら、
画家が再び口を開くのを待った。

 

※この記事は2016年9月に投稿した記事の再掲載です。
過去のデータベースにアクセスできなくなったので一部加筆修正して掲載しています。

 

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当たり前のことかもしれないが、世の中を難しくしている根本的な原因は、
正解や正しさがないってことだなあと最近つくづく感じている。

 

ジェンダーギャップにしろ、SDGsにしろ、人口減少にしろ、ウクライナ戦争にしろ、
フェミニズムにしろ、核兵器にしろ、人種差別にしろ、不倫にしろ、少子高齢化にしろ、
引き籠り問題にしろ、移民政策にしろ、AIの使い方にしろ、全てのことに正解はない。
正解に近い答えはあるかもしれないが、
誰にもこれが正しいですと100%確証を持って宣言することはできない。

 

例えば「人を殺すことはいけないことなのか」というシンプルな問いにしてみても、
一般常識では、いけないことです、ダメですと答えるかもしれないが、
もし難病を抱えていて、病院のベッドのうえで身体を動かすこともできず、
チューブで栄養をおくられて一生を過ごさないといけない状況だったら、また答えも変わってくるだろう。
少なくとも自分だったら誰かに殺してほしいと願うと思う。

 

そういったいっけん白黒つきそうな問いの答えでさえ、グレーの幅のなかにたくさんに存在しているので、
より複雑でわかりにくい問いに関しては、
みんなが納得する答えを出すことはほとんど不可能ではないかと感じてしまう。

 

そして最近は、早急に答えを求め過ぎることで逆に反発や軋轢を生み、
ものごとを複雑化し、可能性を閉ざしてしまっていないだろうか。
SNSの影響か、そのまま放っておいてもいいような物事にも答えを急ぎ過ぎているようにみえる。

 

芸術の分野は昔から割り切れない感情や相反する問題などをよく扱ってきた。
文学や映画の世界では、殺人などのアンモラルなことや不健全さもそのまま描かれる。
それは犯罪や不健全さを肯定しているわけではなく、そういった状況を設定することで、
むしろ真実や大事な価値観を炙り出そうとしているからではと考える。

 

例えば不倫というテーマも文学のなかでよく描かれてきた。

 

そもそもがひとの心の動きは矛盾を孕んでおり、倫理などを超越して好意をもってしまう。
好きになることが許されない状況だとしても
心は自律しているので魅力を感じる存在のほうに、本能的に吸い寄せられていく。

 

ひとを好きになることは極めてナチュラルな心の動きなので止めようがない。
心を動かさないってことは死んでしまうことと同じではないのか、
などと読むひとに問題意識を突き付けるのが文学の役割で、
大事なのはあくまで最終的な判断は受け手側に委ねるところだろう。

 

犯罪に手を染めたり、不倫してしまうひとびとの心のうちを想像し、
状況によっては自分もそうなってしまうかもしれないと考える。
仮定を積み重ねることで、ひとは矛盾し相反する感情を持つ存在だと知ることができる。

 

喫緊にせまる社会問題などはすぐに答えを求められるし、曖昧さは残さないほうがいい場合も多い。
しかしいま決める必要がないことはなるべく後伸ばしにするのは悪いことではないと思うし、
それも成熟した社会の問題解決のひとつなのではないかと考える。

 

もっと本を読み、もっと映画を観るだけでも、だいぶ社会は変わるのかもしれない。

 

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地上の太陽

2023.10.31

      日射角度が低くなるこの時期に現れる地上の太陽。
これもひとつの現代アート。

 

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ARAYA SWALLOW

2023.11.30

最近乗り始めた自転車。

 

ARAYAという日本のメーカーの50年ほど前のフレームに
現在生産されているパーツなどを組み合わせた完全オリジナル。
けっこう車幅があるのが特徴です。

 

知り合いの自転車の先達に組んでもらいました。

 

日頃はミニベロのBromptonと28インチの無印の自転車に乗っているのですが
無印の自転車にけっこうガタが来ており、新しい自転車を買わなければと思っていたところ
ちょうどいいタイミングで組んでいただくことになりました。

 

もともとイメージしていたのは築地の魚河岸が乗っているような黒っぽい実用車。

 

機能性のみを追求したような無骨でクラシカルな自転車を探していたのですが
イメージに合うものがなかなか見つからず(というか国内ではもう生産していないらしい)、
自転車難民状態におち入り、どうしたもんかなと困っていました。

 

他のひとはどうかわかりませんが
自分にとって何かを購入するのはとても面倒な作業。

 

購入後にもっといいものが出てくるのは避けたいので
まずはいま現在入手できる商品の情報を全部揃えてから比較検討に入ります。
職業柄というか、デザイナーゆえに、こだわりが強く、
目立っていいものがあれば楽なのですが、
そうでない場合は決断するまでにヘトヘトになってることもよくあります。
キッチンタイマーひとつ買うのもだいぶ時間がかかったなあ。

 

今回の自転車もそういった迷路に入り込みそうだったので助かりました。
なぜならばお願いしたのがデザイナーだったから。

 

同業者が組む自転車ならば間違いないと、基本お任せでお願いし、
やはり流石の仕上がりとなりました。

 

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昨年の夏くらいに骨董市で買った器。

 

なるべく知識で見ないようにしているが、いい物だなと見惚れて、若い店主に聞くとやはり古染付だと言う。
リムが付いているのは割と珍しく(リムの魅力についてはまた改めて紹介したい)、
値段もこなれていたので、はじめての古染付を手に入れてみた。

 

古染付(こそめつけ)とは江戸時代くらいに景徳鎮で焼かれていた器類のことで、
中国本土では見つかっていないため、日本の茶人の依頼によってつくられたと言われている。
色んな良さがあると思うけれど、洗練されきっていない、大らかでのびのびとした、
むしろ完成を避けるような器づくりに個人的な魅力を感じる。

 

家に帰り、荷を解き、テーブルのうえに置く瞬間がいちばん楽しみであり、また緊張する。

 

なんというか自分にとっての日常の象徴であるテーブルに、買ってきたばかりの非日常である骨董が置かれるとき、
今後それを楽しんでいけるのか露わになるからだ。
骨董市でいいなと思って見ていてもテーブルに置いたら違って感じることもあり、その辺はなかなか難しい。
まあ結局のところ自分の目が甘く、正しく見れていないということだと思うけれど、
机に置くことは資金石というか、ひとつの基準となっている。

 

この古染付に関しては素直にいいなと思った。
もちろん他のものでも同じくらいいいと思うこともあるので、
とりわけ感動はしなかったが、愛でるにはじゅうぶん良かった。

 

しかしここからが古染付の凄さなのだが、以来ずっとテーブルのうえに置いて楽しんでいる。
このようなことはいままでなかった。
見ていたいという気持ちがつづき、仕舞い込むことなく半年以上も経ってしまった。
ふだんは邪魔にならないようテーブルの隅にあって、目の端に入れていたり、
ときどきはじっくりと観察しているが不思議と飽きることがない。
もちろん器としても使いやすい。

 

「飽きることとは理解すること」といったのは元上司の原研哉氏であるが
その言葉を借りるとすると、いまだこの器の魅力を理解できていないのだろう。

 

一見3枚とも同じような大きさと模様だが、時間が経つと、優劣があるのがわかってくる。
時間をかけてわかることがあるんだなあと所有することの大切さを感じる。

 

この1枚がとくに優れている。
絵付のバランスがいいのはもちろんだが、特筆すべきはテクスチャー。
特有のミルキーな釉薬が薄くかかっているので、硬質な磁器であるにも関わらず、
表面にまるで液体のような柔らかさを感じる。
僅かな差が深みを生んでいる。

 

いまだ飽きずに理解できていないということは、
このつくり手なり、依頼主の意図するところが自分の想像を遥かに超えているということだ。
エベレストのように高い山は、ふもとから全容を把握することができない。

 

もしかしたら生涯かけても理解することはできないのかもしれない、となかば諦めに近い気持ちになってしまうのも、
古物を集める楽しさだと思っている。

 

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