すいせい

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デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです

古染付

2024.02.29

昨年の夏くらいに骨董市で買った器。

 

なるべく知識で見ないようにしているが、いい物だなと見惚れて、若い店主に聞くとやはり古染付だと言う。
リムが付いているのは割と珍しく(リムの魅力についてはまた改めて紹介したい)、
値段もこなれていたので、はじめての古染付を手に入れてみた。

 

古染付(こそめつけ)とは江戸時代くらいに景徳鎮で焼かれていた器類のことで、
中国本土では見つかっていないため、日本の茶人の依頼によってつくられたと言われている。
色んな良さがあると思うけれど、洗練されきっていない、大らかでのびのびとした、
むしろ完成を避けるような器づくりに個人的な魅力を感じる。

 

家に帰り、荷を解き、テーブルのうえに置く瞬間がいちばん楽しみであり、また緊張する。

 

なんというか自分にとっての日常の象徴であるテーブルに、買ってきたばかりの非日常である骨董が置かれるとき、
今後それを楽しんでいけるのか露わになるからだ。
骨董市でいいなと思って見ていてもテーブルに置いたら違って感じることもあり、その辺はなかなか難しい。
まあ結局のところ自分の目が甘く、正しく見れていないということだと思うけれど、
机に置くことは資金石というか、ひとつの基準となっている。

 

この古染付に関しては素直にいいなと思った。
もちろん他のものでも同じくらいいいと思うこともあるので、
とりわけ感動はしなかったが、愛でるにはじゅうぶん良かった。

 

しかしここからが古染付の凄さなのだが、以来ずっとテーブルのうえに置いて楽しんでいる。
このようなことはいままでなかった。
見ていたいという気持ちがつづき、仕舞い込むことなく半年以上も経ってしまった。
ふだんは邪魔にならないようテーブルの隅にあって、目の端に入れていたり、
ときどきはじっくりと観察しているが不思議と飽きることがない。
もちろん器としても使いやすい。

 

「飽きることとは理解すること」といったのは元上司の原研哉氏であるが
その言葉を借りるとすると、いまだこの器の魅力を理解できていないのだろう。

 

一見3枚とも同じような大きさと模様だが、時間が経つと、優劣があるのがわかってくる。
時間をかけてわかることがあるんだなあと所有することの大切さを感じる。

 

この1枚がとくに優れている。
絵付のバランスがいいのはもちろんだが、特筆すべきはテクスチャー。
特有のミルキーな釉薬が薄くかかっているので、硬質な磁器であるにも関わらず、
表面にまるで液体のような柔らかさを感じる。
僅かな差が深みを生んでいる。

 

いまだ飽きずに理解できていないということは、
このつくり手なり、依頼主の意図するところが自分の想像を遥かに超えているということだ。
エベレストのように高い山は、ふもとから全容を把握することができない。

 

もしかしたら生涯かけても理解することはできないのかもしれない、となかば諦めに近い気持ちになってしまうのも、
古物を集める楽しさだと思っている。

 

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何かを表現すること、それはどんな分野においてでも、
基本的には不健全さが原点になるのだろう。

 

有名なギターリストが、ひとをうっとりとさせるような曲を弾くことができるとする。
そこまで到達するには、幾度となく繰り返される練習があるはずだが
むろん誰かに頼まれてやっているわけではなく、基本的に本人の意志でやっている。

 

ギターを演奏しない自分と比べると、そこにはあきらかな差が存在している。

 

好きでないひとにとっての練習はハードルが高いのに、
ギターリストが進んで練習するのは、演奏しないと満ち足りないからだ。
演奏することでしか埋めることができない穴のようなものが心に空いていて、
その穴を補完するカタルシスとして演奏を行うのだと思う。
自己治療的な行為と想像され、そういった意味で不健全さを抱えていると言えるし、
もっと言及すればわざわざ演奏しないといけないという意味で、演奏しないひとよりも幸せでない。
芸術活動とは基本的に不幸な人が行うのだと思う。

 

でここからが本題なのだが、もしそういった不健全さを抱えているとしたら、
自分だけでどうにかしようとするのではなく、
社会の枠組みのなかで解決していくのが一番いいのではないだろうか。

 

デザイナーという職種もひとつの病である。
色や形、書体、質感などに対して異常なこだわりがある。図形への執着が著しい。
屋外に出ると、そういった気になる要素が街中に散在しているので、
精神的におかしくなってくる、とまでは行かないがやはり居心地が良くない。
デザイナーは、自分が心地よいと感じるデザインをひとつでも世の中に増やし、
少しでも住みやすい環境に整えようと考えているのではないだろうか。
下手をするとパラノイア的な状態に陥ってしまうかもしれないが
社会と接点を持ち、妄想するイメージをクライアントと共有することで、
自分も満足できるし、社会をより良くすることにも貢献できる。

 

宮沢賢治のように作品を生涯発表しないレアなスタイルも存在はしているが、
純粋芸術活動においても個展などを開催し世間と交わったほうが健康的だと思うし、
芸術に関係しない不健全さも、社会と合致するポイントを上手に探ることはとても大事なことだと思う。

 

難しいのは、趣味の分野についてで、これらは言うまでもなく自己完結していても全然問題ない。
誰に咎められることなく、自分が満たされることを存分に楽しめばいいだろう。
ただ個人的にはそれに費やす時間やエネルギーを社会に還元できるほうが
ポジティブな循環が生まれるのではないかと、最近は思うようになった。

 

今年のささやかな抱負としては、自分が持つ趣味の分野、
具体的には骨董蒐集や食にまつわることを、社会とどう結びつけられるか意識していきたい。
和火もそういったもののひとつであるが、もっと総合的に社会と接点を持てる方法に
頭を巡らせようと思う。

 

以上今年のささやかな抱負でした。

 

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ファッションっぽい、スポーツ飲料っぽい、ITっぽい、イギリスっぽい、
縄文っぽい、化粧品っぽい、洋菓子っぽい、クラフトっぽいなど
具体的ではないけれど、雰囲気のようなものをつくっている「○○○っぽい」デザインの要素ってあります。

 

例えば以下の紅茶飲料のデザインが醤油っぽいと話題なっていました。
https://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/2204/09/news064.html

 

あるいはこの記事では「○○○っぽさ」をわざと入れ替えて、その違和感を楽しんでいます。
https://dailyportalz.jp/kiji/160121195543

 

自分はデザイナーなので、デザインを分析的に見ていますが、
たぶん多くのひとにとってこういう「○○○っぽさ」がデザインなんだと、最近思うようになりました。
まあなかには詳しく見るひともいるとは思いますが、だいたいは「○○○って感じ」だったり
「○○○のようだ」などのあいまいな印象で受け止めているのではないでしょうか。
プロでもない限り、形や色や素材、使われているフォントなど仔細には見ないし、ましてや分析もしない。

 

このことは別に揶揄しているわけではなく、例えばまったくの素人の分野である音楽を、
自分が楽しむときは、音階やリズム、使っている楽器の種類などにけっして注意深くありません。
あくまでいい音楽だな、好きなメロディーだなという印象論でしか受け取っておらず、
適当にというかリラックスして向き合っています。客観的に考えればとても簡単なことですね。

 

でこのことってデザインの核心をついているのだと思います。

 

いくらデザイナーが素晴らしいものができたと感じても
雰囲気みたいなものが合致しないと、世間には好意的には受け入れられないからです。
いいことではないですが、むしろ表層的な○○○っぽいデザインができていれば受け入れられます。
逆に言うとデザイナーは雰囲気もつくれないとダメなんですね。

 

以前恩師に「デザインを見るのはデザイナーだけだ」と言われたことがありますが、
いまではしみじみそうだと感じますし、多くのひとはデザインそのものではなく周辺を見ているのでしょう。

 

今年も残すとこあとわずかですが、下記の通り休みをいただきます。
ご不便をおかけしますが、何卒ご理解いただきますようお願いいたします。

 

◎年末年始休業期間
2023年12月31日(土)~ 2024年1月8日(月)

 

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ARAYA SWALLOW

2023.11.30

最近乗り始めた自転車。

 

ARAYAという日本のメーカーの50年ほど前のフレームに
現在生産されているパーツなどを組み合わせた完全オリジナル。
けっこう車幅があるのが特徴です。

 

知り合いの自転車の先達に組んでもらいました。

 

日頃はミニベロのBromptonと28インチの無印の自転車に乗っているのですが
無印の自転車にけっこうガタが来ており、新しい自転車を買わなければと思っていたところ
ちょうどいいタイミングで組んでいただくことになりました。

 

もともとイメージしていたのは築地の魚河岸が乗っているような黒っぽい実用車。

 

機能性のみを追求したような無骨でクラシカルな自転車を探していたのですが
イメージに合うものがなかなか見つからず(というか国内ではもう生産していないらしい)、
自転車難民状態におち入り、どうしたもんかなと困っていました。

 

他のひとはどうかわかりませんが
自分にとって何かを購入するのはとても面倒な作業。

 

購入後にもっといいものが出てくるのは避けたいので
まずはいま現在入手できる商品の情報を全部揃えてから比較検討に入ります。
職業柄というか、デザイナーゆえに、こだわりが強く、
目立っていいものがあれば楽なのですが、
そうでない場合は決断するまでにヘトヘトになってることもよくあります。
キッチンタイマーひとつ買うのもだいぶ時間がかかったなあ。

 

今回の自転車もそういった迷路に入り込みそうだったので助かりました。
なぜならばお願いしたのがデザイナーだったから。

 

同業者が組む自転車ならば間違いないと、基本お任せでお願いし、
やはり流石の仕上がりとなりました。

 

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地上の太陽

2023.10.31

      日射角度が低くなるこの時期に現れる地上の太陽。
これもひとつの現代アート。

 

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