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デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです

問いの立て方

2021.05.31

 

意義がある問いを立てる。このことはいい仕事をする上で必要不可欠だ。

 

世の全ての仕事は無意識的にせよ意識的にせよ、自分で問いを立てて、その問いに自分で答えるというプロセスを経る。
もちろんあらかじめ与えられた問いの場合もあるが、いい仕事をしようと思うとそれでは十分ではない。

 

例えばフランス菓子のパッケージデザインを頼まれたとする。

 

もし簡単に済ませようとするならば、フランス的な装飾や色彩などを用いて、
フランスっぽい何かをデザインすればいいだろう。

 

その場合の問いは単純だ。

 

フランス菓子なので、フランス的な要素を用いたらどのようなデザインになるか?

 

その問いと答えでクライアントが満足するとしても、このままでは漠然とし過ぎていて意義がある仕事にはならない。

 

異文化であるパッケージを日本人がデザインできるのか。
もしデザインするとしたら日本人が関わる意味合いや必然性とはなにか。
あるいは日本人ではなく、フランス人に依頼し直すほうがいいのではないか。
フランス的であるとはどういうことなのか。ヨーロッパ的であることとどう違うのか。
フランス人にしかできないフランス菓子のデザインとはなにか。
日本人にしかできないフランス菓子のデザインとはなにか。

 

などと言った噴出する疑問を勘案しながら、依頼に対して最適な問いを立てる。
そしてその問いのクオリティがそのまま答えのクオリティになる。
もちろん問いが難しいと、答えを出すのも難しくなるが
そもそも意義がある問いを設定しないかぎり、答えも意義があるものにはならない。

 

例えば制限なくまったく自由にデザインしてもいいですよ、という依頼であったとしても、
ただ奔放にデザインするのではなく、
自分自身で高度な問いを設定しなければ、優れたデザイナー(デザイナー以外の仕事人も)とは言えない。

 

どうすれば意義ある問いを設定できるのか。
それは常日頃から問題意識を持つことだろうと思う。
つまり依頼されたときから考え始めるのではなく、いつも自問自答していることで、
良質な問いをストックしておくことができるのだ。

 

矛盾しているようだが、仕事をしていないときこそ、
仕事をしていることが大事なのだ、と最近は考えている。

 

 

和火やってます。

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2誌に作品を掲載していただきました。

 

Victionaryは香港の出版社で、何度か取り上げていただいております。
勢いが良く、世界的にも注目されている出版社みたいで
ドイツ人の知り合いもファンだと言ってました。

ずっと緊張感が漂う香港ですが、一刻も早く以前のような
自由で民主的な社会に戻ってくれることを願っております。

 

『スタイルのあるブランディングデザイン』は
日本のデザイン系の出版社では老舗のPIE BOOKSから出版されております。
様々なジャンルの良質なデザイン例が掲載されており、
充実した内容ですので、書店に行かれた際にはぜひ手にとっていただけますと幸いです。

 

 

◎『Packaged for Life

148×197mm/256ページ

発売元 Victionary

定価 本体USD$35

 

◎『ターゲットの心を掴む スタイルのあるブランディングデザイン』

B5判/352ページ

発売元 パイ インターナショナル

定価 本体5,900円+税

 

 

和火やってます。

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エコとセコさ

2021.03.31


最近よく考えているのがエコとセコさ。

サスティナビリティの観点からは、なるべく無駄をなくすほうが望ましいし、プラスチックゴミはきちんと分別されて、
適切に処分されるべきだと思う。マイバックの持参も基本的には良いことだろう。

 

ただエコは良くてもセコいのは嫌だなと気持ちの奥底で感じている。

 

 エコ的な観点を突き詰めていくと、慎ましやかになっていく。

 

まだ慎ましいのは良いとして、一回使ったラップは洗って再利用するとか、入浴後のお風呂のお湯で洗濯するとなると、
だんだんとセコいフィールドに入っていく気がする。

 

同じく考えるのは貧乏と貧乏くささの関係性。
貧乏はお金がない状態を指すが、お金がない=貧乏くさくなるかというとそうでもないし、
お金持ちでも貧乏くさい人はたくさん存在している(と思っている)。

 

効率を求めて、いつもコンビニでお惣菜を買い、プラスックの器に盛って食事をします、という人は
たくさんお金を持っていたとしても貧乏くさいなあと思ってしまう。
逆にお金がなくてお粥しかつくれなくても、丁寧につくり、美しく盛り付け、
時間をかけて優雅に食事をすれば、豊かではないだろうか。

 

「贅沢さとは無駄のこと」と言ったのは秋元康氏であるが、さすがその通りで、良い意味での無駄の存在が
日々の生活にささやかな楽しみや彩りを与えてくれ、ひいては贅沢さにつながるのだと考えている。

 

あさ一時間だけ早く起きて、仕事前にゆっくりと新聞を読む。

いつもは適当に焼いている魚を塩釜のオーブン焼きにしてみる。

一杯の珈琲を淹れるために湧き水を汲みに行く。

 

合理的に考え過ぎて、有益な無駄まで排除しようとすることが、セコさや貧乏くささに繋がるとすると
エコロジーに矛盾しない無駄を取り入れていければ、セコさも軽減されていくのではないだろうか。

 

例えば学生時代にお金がなかったときに、洋雑誌のいちページを封筒にし手紙を送っていたことがあった。
アイディアとセンス次第でリサイクル、リユースすることも魅力的になると考え、そのことは割と気に入っていた。

 

実際にセンスが良かったかはわからないが、少なくともセコくはなかったと思う。
 一番上の写真は国宝で、割れた茶碗を金で継ぐという発想はエコでありながらセンスが良い。
むしろ継がれることで完全な形よりも価値が上がる場合もあるのが金継ぎの面白いところ。

 

 環境や資源がいよいよ切羽詰まってきて、新しい局面を迎えつつあるが、
おそらく「贅沢なエコ」あるいは「有益な無駄を含んだエコ」みたいな発想から
次世代の新しい価値観が生まれてくるのではと最近よく想像している。

 

そして伝統的な文化を見るにつけ、日本人はそういうことがけっこう得意なのではとも感じている。

 

画像出典

『特別展 茶の湯』東京国立博物館

 

和火やってます。

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今回はプロによるものでない民藝的なグラフィックデザインをご紹介します。

 

上はおそらく中野あたりで遭遇した垂れ幕。
子供がクレヨンみたいなもので書いたのか、のびやかな緩い文字がいいですね。
計算されていないある意味隙だらけのデザインは見る人の気持ちをほどいてくれます。

 

これはホームである東松原の看板。<生田流>と<琴古流>を小さい文字で組むことで、要素をわけ、
末尾に縦組みで「教室」と配し全体を引き締めている意外と高度なデザインだと思います。手書きの丸ゴシックもいい。

 

「〜」がポイント。おそらくパソコンの設定ミスでしょうが、紙一枚分を締める大きさにロック精神を感じます。

 

ビワが入っていた段ボール。枯れた味わいというか、緑とオレンジの組み合わせがしみじみ良い。
色が重なることで表現に奥行きが出ていますが、よく見ると狙ったものではなく、版がただ下方向にずれているだけですね。
印刷の再現が多少悪くても魅力を失わない力強さ、日本人なら老若男女問わず、素直に美味しそうと感じるであろうシズル感が最高です。
この絶妙なデザインを超えるのは一流のデザイナーでもなかなか難しいと思います。

 

教会の壁面に描かれていました。平和の象徴である鳩を平和的に表現するとこうなるのでしょうか。
描いてるひとがとても晴れ晴れと居心地がよく取り組んでいるのではと想像しました。

 

看板のはしっこが擦れているのがまた渋い。黒と赤の組み合わせと、大きい「る」とルビの「Ru」のレイアウトが面白い。ふつう「Ru」に「る」ですよね。いわゆる平面構成で言うところの粗密のバランスを押さえてもいます。

 

高速で遭遇。もしかしたらデザイナーがいるかもしれない「FKK」ですが、アノニマス性を感じます。
無骨に力強く組まれたタイポグラフィは車両などの鉄工的なプロダクツと相性がいい。

 

これも東松原の貼り紙。流れるように書かれた「Sale」の赤文字に目を奪われました。
自分みたいにデザインに対して固定概念を持ってしまった人間にはなかなかつくれない。
表現者はやはり「囚われて」はいけないことを思い知らされます。

 

特徴的な「梅」の字とぼそぼそしたテクスチャがいいですね。インクが切れかかったマジックのようなもので書いたのでしょうか。
母の払いが沢の払いとリンクし、リズムを取っているようにも見えます。

 

グラフィックデザインの条件はいろいろとあると思いますが、ひとつに「絵的な面白さ」あることだと考えています。
この要素がないとグラフィックデザインではなく、ただの張り紙なのです。
そう言った意味で街中の看板や張り紙は、邪念や固定観念に囚われない自由さによって、
立派にグラフィックデザインに昇華されていると感じます。

 

和火やってます。
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今年の抱負

2021.01.29

今年は直感力を高めたいと思っている。
 
最近、『民藝の擁護』という書籍を読む機会があり、改めて民藝と柳への理解を深めることができた。
 
本書を読むと、民藝の提示の仕方については、
もうちょっとわかりやすい方法があったのではと思わないでもないが
柳が千利休以来の天才と評される理由がよくわかった。
 
二人の傑出した才能が見出した「美=価値観」は本来あるようなないような曖昧なものでとても掴みづらい。
その霞のような曖昧さをきちんと見える形で提示し、言語化し、
ムーブメントをつくりだした功績は大きく、のちの日本の文化に多大な影響を与えたと考えている。
 
例えば無印良品に通底する素材を活かすというコンセプトの背景には、千利休の侘び茶の精神があると思われる。
利休以前も、素材の良さを活かすという価値観は、ふわっとした感じで存在していただろうが
侘び茶という「物の見かた」を通すことで、アウトラインがくっきりと認識できるようになった。
 
民藝については、まだ創出されてそんなに時間が経っていないこともあるので
影響を受けた例を参照するには時期尚早だと思うが、
柳宗理をはじめとするプロダクトデザイナーがアノニマスデザインに気付く手がかりとなったのは確かだろう。
 
どちらにも共通しているのは、
特別な物事=非日常にではなく、ありふれた物事=日常に価値を見出したことで、
この価値観はとても日本的だと考えている。
日本の自然の豊かさが、見逃してしまいそうなくらいの微差を尊ぶ繊細な感覚を育むことに
繋がったのではと推察しているからだ。
 
ちょっと話が逸れて来たので、本題に戻すと、
「直感を働かせない」と美しいものは見えてこないと本書のなかで柳が述べていた点が興味深かった。
 
普段なにげなく直感という言葉を使っているが、我々は十全にその感覚を発揮していないらしい。
世俗的な評価、一般常識、事前の知識など一切の雑念を取り払った状態でなければ
真の意味で直感を働かすことはできないからと柳は言う。
 
また純粋な心がなければ幸せになれないと、仏教の信仰心についても引いており、
どちらにも共通して大事なのが、しがらみから離れた心の状態であるとも書いていた。
 
つまり他人と自分を比較したり、常識的な価値観に縛られていたり、
世間の評価などに惑わされていると、なにが自分にとって大事な価値観なのかわからない。
なぜならば大切なものごとを求める際の心の声はとても小さいので、ノイズがない静かな状態でなければ聞こえてこないからである。
美しさを知覚するのも同様なのだろう。
 
そういう意味で、SNSの活況ぶりを考えると、いまほど忌避すべき情報が飛び交う時代もないと思われる。
 
初めて目にしたり、体験する物事はだんだんと少なくなり、どこか既視感があるものばかりである。
人々の評価も色んな方向から流れてくるし、知りたくもない過剰な情報を日々摂取している。
 
柳の言葉を信じるとしたら、美しいものや幸せを手にするには、もっとも適していない時代と言えるかもしれない。
こんな時代に生きていると、もしかしたら自分が好きだったり、評価しているものごとも、
本当はぜんぶ幻想だったということにもなりかねない。
 
今年はどのようにすれば上記の意味で直感を働かせることができるのか考えたいと思っている。
 
本書を読むことでようやく「直下(じきげ)に見よ」という柳の言葉の意味が理解できた。
 
 
 
和火やってます。
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  1. brEiNlktUypxSmGv より:
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