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デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです

砂漠へ

2024.10.15

面積的にはそんなに広くないが、モロッコの東側にはサハラ砂漠が広がっている。


 

サハラ砂漠はアフリカ大陸の1/3(!)を占めていて、

東はエジプトから西はモロッコまで続いているが、完全な砂丘は実は少なく

大部分は砂利ほどの大きさの石と砂などで構成されている。

モロッコ国境付近にあるメルズーガという街からは、完全な砂丘に行くことができるらしい。

 

今回の旅行で砂漠に行きたいと考えていた。

日本のような湿潤の国にいると、カラカラに乾燥した気候へのリアリティがなく、

砂と空だけで構成される世界に身を置いたら、どういった気持ちになるのか興味があったのだ。

あるいは砂漠をひとつの現代アートと捉えることもできる。
花粉を部屋に敷きつめるヴォルフガング・ライプのインスタレーションの様に、

広大な面積に砂を敷きつめる作品としての砂漠を見てみたかった。

 

モロッコはなんとなく赤茶けた大地のイメージがあるので、

砂漠ばかりが広がっているのかと思っていたが

実際に行ってみると木々も多く、都市部にいるかぎり砂漠っぽくもない。

いや、正確には乾燥した地域が主体の国ではあるが、

他のさまざまな気候も混在していると言うべきだろう。

例えば車でメルズーガからフェズという街まで北上すると、10分単位で車窓はめまぐるしく変わる。

砂丘はもちろん、岩肌がむき出しの地帯から、アトラス山脈の高山地帯、草原、森林までと、

変化に富んでいてとても一国の一季節の気候とは思えない。

数分前まで砂漠エリアだったのに、いまは森林にいるなんてことはざらである。

もし気候のサンプリングをするとしたら

こんなにうってつけの国もないんじゃないかという気がする。

この多様さはモロッコを訪れて驚いたことのひとつだ。
 

 


砂漠へはマラケシュからツアーで向かった。

自力で行くことも可能だが、世界遺産なども効率よく廻りたかったのでツアーを前日に申し込んだ。

2泊3日の日程を共にするメンバーは、フランス人とイタリア人のカップル、アラビア人の母と娘、

ポルトガル人カップル、ドイツ人の女子二人組、フランス人夫婦、カナダ人の女子二人組。

コミュニケーションは英語。ガイドもフランス語と英語なので、

楽しもうと思うと英語はある程度できたほうがいいかも知れない。日本人は僕だけだった。

 

ツアーバス@アトラス山脈の中腹。最上の写真も同じ場所から。その下はアトラス山脈を超えた後。

 

年齢層も異なるさまざまな国の人々と話すのは楽しい。

食事時などは大袈裟にいえば世界会議みたいなものだ。

意外なほど日本のことを他国の人は知らないし、他国のことを僕は知らない。

例えば今回ポルトガルの人口が一千万人ほどしかいないとはじめて知った。

なるべくたくさんの多様性を知ることは旅の目的のひとつだ。

それは視野が狭くなることを防いでくれる。

視野が広い人には抜け出せないほどの絶望は来ないだろうと楽観的に考えている。

関係ないが、外国人との会話の場合、年齢を聞かないのが面白い。

仕事のことを詳細に話しても年齢には及ばないのは

おそらく日本語には敬語があって、英語にはないからだと推測する。
 
初日の一番の見所は世界遺産にもなっているアイト・ベン・ハドゥという集落だろうか。

 

ここは『アラビアのロレンス』をはじめさまざまな映画のロケで使われているので

記憶にある人も多いかもしれない。

マラケシュからアトラス山脈を超えて数時間のところにある日干し煉瓦の集落で、

モロッコの他の多くの街と同じく防御のために丘につくられている。

このような要塞化された村はクサル呼ばれ、所々に銃眼がある塔がそびえ立ち、

頂上には見張り小屋がある。現在でもまだ10人ほどの家族が住んでいるが、

ほとんどは集落の脇を流れる川(乾期なので干上がっていたが冬場は水深2mにもなるとのこと)の

対岸にできた新しい街に移ったらしい。

この集落は離れて眺める方がいい。家の内部には入れないし、

例によって窓は小さいので、歩いているだけでは特にエキサイティングではない。

近くで見るとかなり傷みが進んでいるところもあり、修復している人を見かけた。

 

風が強い頂上からは、荒涼とした大地をかなり遠くまで見渡すことができる。
確かにこの見晴らしなら敵をすぐに発見できるだろう。
川の跡にうっすらと緑がある以外は草木もない乾いた山や平原が広がっている。

 

もしここで生まれていたら何の仕事をしているのだろうと想像する。
モロッコの識字率は50%ほどらしい。失業率も20%を超えているので、
昼間からぼーっとしている男達を目にすることが多い。
別にモロッコに限らず、ベトナムや中国でもそういう男はよく見かけた。
(なぜか暇そうにしている女性は見かけない)
こういうのを見ていると、勤勉に働くこと(つまり日本人がいつもやってること)って
グローバリズムが生み出した幻想なのではと思ってしまう。
識字率や失業率やGDPはグローバリズムや資本主義というものさしがあって初めて成立する。
グローバリズムはひとつの必然かもしれないが、問題はそのものさしで計れないものに
価値がなくなってしまうことだろう。
僕にとって暇そうにしている男達を見るのも多様性を知ることのひとつだ。

 

アイト・ベン・ハドゥを見終わるとちょうどお昼なので、新しくできた街の方で昼食をとる。

羊のタジン鍋とクスクスを選ぶ。モロッコはイスラム圏なので豚肉は食べず、

それ以外の肉(ラクダなども)と野菜をタジンで煮込んだ物をメインとすることが多い。

海に面しているので魚の煮込みもある。

モロッコ料理はもっとスパイシーかと思っていたが、わりとあっさりしていて

日本人の味覚には合う気がする。タジンで香辛料を使ったものには遭遇しなかった。

 

ハマったのはフェズという街で食べたサンドイッチだ。
ホブスと呼ばれる平べったいパンなどに挽肉やソーセージを挟んで食べる。

 

ケースから好きな具を選ぶ。おすすめは?と聞くと、全部混ぜたやつというのでそれにした。

羊肉のミンチ、レバー、ソーセージ、鶏肉、タマネギなどを混ぜながら炒めてパンに詰め、

トマトソースをかける。トッピングにオリーブ。美味しすぎて思わず声が出てしまう。

 

エスカルゴはくせがあり全部食べれなかった。

 

他に印象に残っているのはクミン玉子。

夜、フェズの路地を歩いていると道端におじいさんが座り玉子をむいている。

 

これはなんだ?と並んでいるお客に訪ねると、とにかく食べてみろと言われた。
温泉玉子くらいの柔らかさの玉子を、殻の一部分残してむき、
そこに粉を振りかけて渡してくれる。いまにもこぼれ落ちそうなのを受け取り、
ひとくちで食べると玉子とクミンと塩が口の中で溶け合った。
おいしい料理とはつねづね化学変化だと思っている。AとBを一緒に調理し、別のCに変化させる。
変化がないとそれぞれの食材をただ食べるだけになってしまう。
そういう意味でこの玉子料理は確実に別の何かに変化していた。

 

ラマダン開けによく食べるハリラというスープはやさしい味。これもスパイスは使っていない。

 

エスカルゴはくせがあり全部食べれなかった。

 

ミントティは甘い。宗教上禁止のアルコールの代わりとしてモロッカン・ウイスキーとも呼ばれる。
モロッコ料理は素材の味を大事にし、手を加え過ぎないという意味では和食に近いのかもしれない。

おおぶりのじゃがいもとにんじんが煮込まれたタジン料理などは
肉じゃがなんじゃないかとひそかに思っている。

 

<続く>

 

※この記事は2013年に投稿したモロッコの旅行記の再掲載です。

 

第一回目はこちら

 

 

 

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