アイデンティティとオリジナリティ(の続き)
2025.03.31
前回の話に続いて、グローバル化する世の中において、
どのようにアイデンティティを築いていけばいいのだろうか。
生まれ育った歴史と地域に縛られると前回書いたが、膨大な質量の情報がやりとりされる現代において、
アイデンティティの厳密さを問うことはなかなか難しくなっている。
いま現在、日常的に和服を着る日本人はほとんどいない。
ハレの舞台である非日常着としては存在するが、だいたいは洋服を着用している。
あるいは日本語のコミュニケーションにしても同じようなもので
この文章の中にどれだけの外来語があるだろう(そもそも漢字も外来語だし)。
これはもちろん日本だけに限ったことではなく、世界で同時的に起こっていて、
日本に欧米文化などが流入する代わりに、和食やアニメなどが海外に浸透していっている。
ニューヨークでも北京でもロンドンでも日本と変わらない美味しいお寿司を食べることができるし、
漫画やアニメはおそらくいま全盛期を迎え、世界中で楽しまれていると思う。
日本に一度も行ったことがない西洋人が、日本人がつくるよりも美味しいお寿司を
提供していることもあるだろうし、そういった例も今後増えていくに違いない。
文化は誰でもアクセス可能なので、日本人もHIPHOPを歌うし、黒人の和食料理人も存在する(だろう)。
ただ文化は歴史と地域の掛け算であることからは逃れられないので、文化の本質を理解しているほうが、
より質の高い表現ができるのは確かだと思う。
寿司の本質を知っていないと、なぜ魚介類とネタを合わせるのかがわからない。
牛肉を乗せたものは寿司なんですか?日本にもそういったメニューはあるのですか?
とお客さんに聞かれたときに、きちんと返答できないと、信頼も得られないだろうし、
自分自身にも迷いが生じて、フルスイングするような大胆な表現は難しいだろう。
それは日本人が寿司を握るときでも同じことで、どれだけ本質にコミットしているか、その深度が重要なのだと考えている。
よくむかしから日本人にロックは歌えるのか?という論争があるが、
本質を理解しているのならば歌うことはできると考えているし、日本語の歌詞でもロックの表現はできる。
それはHIPHOPに置き換えても同じことで、ニューヨークのブロンクスとは違ったリージョナルな解釈もできると思う。
ただ上記で書いたように、西洋人と比べてどうしても分は悪くなってしまうし、
なぜ日本人がHIPHOPをするのかという根本的な理由も必要となってくる。
本質にコミットできる条件として、日本人ならば外国人よりも日本文化にアクセスしやすいし分、
有利であるというのが基本的な考え方で、その有利さのうえにオリジナリティを築いていくのが自然な流れではないだろうか。
日本的なデザインの本質は何なのか問い続けること、そして頭でっかちではなく、
その答えがきちんと感覚的に表現されていること、そういったことをデザイナーとして日々心掛けている。
※和火やってます。
※作家活動のインスタやってます。