すいせい

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このブログはデザイナー樋口賢太郎が綴る日々のことです

砂漠へ 2

2024.10.28

一日目はダデス渓谷にあるホテルに泊まった。


このホテルはいまいちだったけど、ここで出会った40歳overの韓国人大学院生との話が面白かった。

ダブリンで経済学の博士号を終え、帰国前の最後の旅でヨーロッパを回っている。

韓国の大学で化学を専攻していたけれど飽きてしまって、経済学を勉強するために留学してみた。

いままで一回も働いたことがなくてやばいと思ってるんですよ。

みたいな会話で、しかしそういう割にはあんまり焦ってる様子もなく、

たぶんかなりのエリートなんだろう。育ちも良さそうでとても優しい。

中国でもそうだったけど、個人レベルでは反日を感じたことはない。

イメージが操作されているで、そもそも日本のことをそんなに気にしていないと思う。


夕食はツアーメンバーで談笑しながらとる。英会話にストレスを感じなくなってきた。

旅行の初期はまだ英語が身体に馴染んでないけれど

数日経つと頭の回路が切り替わるようで、だんだんとしゃべれるようになる。

話してる最中に単語が浮かばないからと言って、いちいち辞書なんて引いてられないので
別の簡単な言葉で説明できるようになるのが、ひとつの英会話のポイントだと思う。

そもそも日本語を他言語に完全に置き換えることはできない。

あくまで近似値を探す作業が翻訳の本質だとすると、単語を知っているというよりは、
どれだけ近い表現ができるかがむしろ重要ではないだろうか。

翌朝は6:30に出発。(一番上の写真は出発前)
しばらく進み、眺めのいい場所で休憩をとった後に事件が起こった。

メンバーの中にアラビア系の親子(母と娘)がいて、

彼女らは他のメンバーと特にコミニュケーションするでもなく、食事の時も二人だけで済ませていた。

バスに乗る際も他の人を避けるように
ドライバー横の一番前の席を陣取り、会話をすることはなかった。

そもそも英語があまりしゃべれないようで、

アラビア語を解するモロッコ人のドライバーとだけ話をしている。

事件は、彼女らがずっと座っていた席がフランス人カップルに取られたことが原因だった。

ツアー中は乗り降りする度に、好きな場所に座っていいという暗黙のルールがあり、

フランス人カップルは空いていたその席に座りたいと思ったらしい。

しかしそんなルールもその親子にはどこ吹く風である。

専有であったはずの自分達の席に、他の誰かが座ることは許されないらしく、烈火のごとく腹を立て始めた。

フランス人カップルに詰め寄る。一番左がドライバーで、通訳しているところ。

しかし特別料金を払っているわけじゃないので、誰でも座る権利がある。

フランス人カップルは全然悪くない。
とドライバーがなんど説明しても聞く耳を持たなかった。

すぐに諦めるだろうと、初めのうちはみんな高を括っていたが
30分しても納得しない。

それどころかドライバーに石を投げて、抵抗している。

石を投げる。

みんな心配して見守る。

感心したのはフランス人カップルの姿勢。そんな状況でもまったく席を譲ろうとしない。

日本人であればみんなに迷惑をかけてしまうからと
早々に席を明け渡す気がするが、そのような軟弱な発想は二人の頭にはないらしい。

その姿勢には他のメンバーもいたく感銘を受け、
「お前らを尊敬するよ。絶対にそこを動かないでくれ」と彼らを全面的に支持するのだった。

平等な権利があることを微塵も疑わない彼らの姿勢をとても清々しく感じた。

旅行はこういうことがあるから面白い。

しかし1時間に及ぶ交渉も決裂すると、だんだんと不穏な空気が漂い始めた。

なんとなくだが「イスラム文化圏 vs 欧米」みたいな構図がそこには透けて見えるような気がした。

アラブ人親子はもはや席のことはどうでもよくなり、
彼女らの存在を受け入れないメンバーへの怒りへと変化しているように思えたからだ。

そんな中、フランス人カップルが席を明け渡した。

このタイミングで席を譲られても、
今度は人と人との対立の方が浮き彫りになってしまい、
もとの和んだ空気は戻ってこない。

とりあえず親子を先に席に座らせ、車外にいたメンバーも出発するために乗り込もうとした矢先、

まだ怒りが収まりきってないアラブ人の娘は素早くドライバー席に移動すると、ハンドルを握った。

バスを運転するつもりだ。

外にいたドライバーは大慌てで走るが間に合わない。

この行動には母親もさすがにびっくりしたらしく、
エンジンをかけようとする娘をなんとか制止している。

危機一髪のところでドライバーが駆けつけキーを抜いた。

現場はガードレールもない崖沿いの道なので、一歩間違えば大惨事になるところだった。

いや、あわよくばジハードとでも叫んで谷間に落ちて行くことを望んでいたのだろうか。

彼女のこの行動にみんな凍り付いてしまい、
一番前の席に座らせることを、
再度考え直さなければいけなくなった。
走行中にハンドルを奪われたら大変なことになる。

もう一台バスを用意してくれという人もいたが
現実問題として新しいバスがここまでくるには時間がかかりすぎる。

結局、彼女をドライバーの横には座らせないという案で終結した。

一番前には座るが、ドライバーと彼女の間には母親が座る。
納得しない人もいたが他に手段がないのでしょうがない。

綱渡りのような出発だったが、その後問題は起こらなかった。

フランス人カップルの行動は決して間違ってはいなかった。

平等な権利が脅かされたのを守ろうとしただけだし、
歴史的にもそうやって権利は確保されてきた。

しかし時に正当性にこだわり過ぎると、関係性がこじれてしまう。

ツアーというゆるい運命共同体の中でさえ、危ういところまで行ってしまうのだから
それが国際社会ならどういう事態を招くのか想像に難くない。

そういう意味で日本人の曖昧な行動は、あながち悪いことではないのではと思った。

曖昧さはなるべく関係性を維持しようという気持ちからくるのだろうし、

日本には正当性さえ捨ててしまえという意味の「負けるが勝ち」ということわざまである。

一見勝ったようでも、トータルで考えると負けていることが世の中には多いので

どちらがプラスになるか俯瞰的に考えようということだ。

今回の件は正当性も通せなかったし、関係性も悪くなったという一番悪い例にあたるのだろう。

曖昧さを技巧レベルまで高めることでうまく国際社会で立ち回れるのではないだろうか。

欧米人には決して真似できない(というか理解できない)曖昧力ってのも悪くないと思う。

まあ、そんなこんなでスケジュールがおしてしまい、砂漠に着く頃には夜になってしまった

<続く>

※この記事は2013年に投稿したモロッコの旅行記の再掲載です。

第一回目はこちら

第二回目はこちら

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