すいせい

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このブログはデザイナー樋口賢太郎が綴る日々のことです

空白恐怖症の中国、寿司デザインの日本 前編

2024.07.25

後編はこちら

中国杭州にて

目の前にある建物は日本人の感覚からすると、過剰なくらいの模様に埋め尽くされている。
柱や壁や扉はもちろんのこと椅子や机やカーテン、
よく見るとドアと壁の隙間をつなぐ細い部材にも微細な模様が入っている。
おおよそ模様を入れることに関して中国人はとても情熱的に取り組んでいるのだろう。

単に空白を埋めるというだけではない。
いっけん模様がないかと思いきや、目を近づけて見るとデリケートな細工が施されていたりして
鋭い感性と高い技術力が働いていることが分かる。
模様で埋め尽くされていると表現すると、日本人ならだいたい過剰さや無秩序を思い浮かべるだろうけど
繊細さという価値観も明確に感じられ心地よい。

しかし心地よさとは別に、ある種の強迫観念みたいなものも感じてしまう。
模様がない状態を放っておけない、空白恐怖症に近いものだろうか。

それはすなわち中国において模様の不在とは
コミュニケーションの不在も意味するからかもしれない。

かねてより模様は権威を表すことに利用されてきた。

誰かが権威を持っているということを理屈でなく表現するには
模様がとても便利で有効であったからだ。

中国の王に会うために、はるばるヨーロッパからシルクロードを伝って来た客人が
模様でびっしりと埋め尽くされた謁見の間に通される。
高密度の模様の玉座に座っている王を見ると、言語や文化的背景が異なっていても
権力を持っている事は直感的にわかると思う。

中国が模様で埋め尽くす背景には、多民族国家(※)であることが関係しているのだろう。
異なる文化的背景を持つ民族に対してアプローチするには
外国人でも理解できるような確実なコミュニケーションが求められるからだ。
それは空白や余白という曖昧さを排し、わずかな隙間さえも模様で埋めると言うことを意味する。
多民族国家において曖昧さは決して美徳ではなく、常にある種の危機感をもって回避すべき事態なのだ。
もちろん曖昧であることが有事に繋がることも充分考慮に入れなければいけない。

より正確に表現すれば、中国人は模様が好きというよりは、空白が嫌いなのだろうし、
脅迫観念を感じるのは「模様」にというよりは
「生き延びる為に全力で空白を埋めようとする執念」の方にかもしれない。

一方日本はどうだろうか。

おそらく中国人ほど模様に対して熱心ではないだろう。
それは非多民族国家ということが関係しているのか?

写真
上 杭州にある薬局内部
中 同建物吹き抜け部分2階
下 同建物吹き抜け部分3階

※この記事は2011年に投稿した記事の再掲載です。

過去のデータベースにアクセスできなくなったので一部加筆修正して掲載しています。

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