鎌倉生活
2025.05.31
まだまだ落ち着いてはいないですが、4月から鎌倉での生活がスタートしました。
ざっと2ヶ月くらいの感想としては、まあこれは想定内でありますが、
自然がまわりに溢れていることが、まずはとても素晴らしいと感じています。
それを求めて移ったので当たり前ですが、息がスムーズにできるというか、
細胞が喜んでいる感覚というか、QOLは確実に良くなったと思います。
家から10分も歩くだけで、上のような森?山?があり、
足を伸ばせば、由比ヶ浜や逗子のほうには海が広がっています。
いま住んでいるのはいわゆる谷戸と呼ばれるところで、三方向を山に囲われています。
谷戸とは、やと、やつとも呼ばれる地形で、リアス式海岸のように、山に筋を切り込んだ三角の形をしており、
鎌倉にはそういった谷戸が無数あると言われています。突き当たりはだいたい農業が営まれていることが多く、
このあたりも畑となっています。
仕事場から見える景色。
いかつい岩が露出していますが、実際はやわらかい砂岩で容易に削ることができます。
平地が少なかった鎌倉では、お墓を建てる際に、こういった崖を削ってやぐらと呼ばれる墓地にすることがありました。
この扉の奥はお墓でなく、炭焼き小屋として利用されていたとのこと(お墓でなくてよかった)。
仕事の合間などに目をやると気分転換になり気に入っている風景なのですが、
土地の一部が土砂災害地域のイエローゾーンにかかっています。
鎌倉はこの土砂災害地域がとても多く、山側に土地や家を購入する際には注意しないといけないです。
↑ ここで調べられます。
ただいっぽう海側は海側で津波の危険性もあるので、鎌倉はどこにいても気が抜けません。
もともと海の底だった鎌倉では、同じような岩肌の地形をいろんなところで目にすることができ、
大規模に削った切り通しと呼ばれる道やトンネルなどもあります。
上の写真は近所にある切り通しで、ここは現役ではないようですが、いまでも利用されている切り通しもたくさんあります。
近くのこのトンネルもノミで削ってつくられたようです。
住んでいるのは北鎌倉と大船の間くらい。生活圏としては大船となります。
北鎌倉にはコンビニくらいしかないですし、交通網も発達していないので、大船をよく利用しています。
大きい街なので、そこでおおかたの買い物を済ますことができます。
当初は大船は東海道線のひとつの駅というくらいの認識しかなかったのですが、
魚屋肉屋、八百屋、銭湯などひしめき、居酒屋やセンベロ系の立ち飲み屋も多く、いい意味で雑多混沌としていて、
なかなかディープで味わい深い世界が広がっています。
いまでも商店街が十分に機能していて、最初はまるでアメ横のようだなと思いました。
スーパーもあるのですが、そういったコミュニティで対面で買い物することが、世田谷区から来た人間としては新鮮で楽しいです。
これは想定外に良かったこと。
かつて大船には松竹の撮影所があり、映画関係者が訪れたり、近辺に住んでいたことで、
他の東海道線の駅とは違ったカルチャーが形成されていったのかもしれません。
小津安二郎も晩年北鎌倉に住んでいたことがあり、お酒好きだったので大船でもよく飲んだことでしょう。
ここは北大路魯山人が主催した美食倶楽部があった場所で、現在は緑地になっています。
美味しんぼの海原雄山のモデルにもなった魯山人ですが、かつて北鎌倉に活動拠点があり、作陶などを行なっていました。
総合芸術家だった魯山人は、さすがに土地に対する嗅覚も鋭く、跡地は北鎌倉の中でもとても気持ちがいい場所でした。
以上、2ヶ月間の鎌倉生活レポートでした。
※和火やってます。
※作家活動のインスタやってます。