すいせい

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このブログはデザイナー樋口賢太郎が綴る日々のことです

答えがない世界に生きて

2023.04.29

当たり前のことかもしれないが、世の中を難しくしている根本的な原因は、
正解や正しさがないってことだなあと最近つくづく感じている。

ジェンダーギャップにしろ、SDGsにしろ、人口減少にしろ、ウクライナ戦争にしろ、
フェミニズムにしろ、核兵器にしろ、人種差別にしろ、不倫にしろ、少子高齢化にしろ、
引き籠り問題にしろ、移民政策にしろ、AIの使い方にしろ、全てのことに正解はない。
正解に近い答えはあるかもしれないが、
誰にもこれが正しいですと100%確証を持って宣言することはできない。

例えば「人を殺すことはいけないことなのか」というシンプルな問いにしてみても、
一般常識では、いけないことです、ダメですと答えるかもしれないが、
もし難病を抱えていて、病院のベッドのうえで身体を動かすこともできず、
チューブで栄養をおくられて一生を過ごさないといけない状況だったら、また答えも変わってくるだろう。
少なくとも自分だったら誰かに殺してほしいと願うと思う。

そういったいっけん白黒つきそうな問いの答えでさえ、グレーの幅のなかにたくさんに存在しているので、
より複雑でわかりにくい問いに関しては、
みんなが納得する答えを出すことはほとんど不可能ではないかと感じてしまう。

そして最近は、早急に答えを求め過ぎることで逆に反発や軋轢を生み、
ものごとを複雑化し、可能性を閉ざしてしまっていないだろうか。
SNSの影響か、そのまま放っておいてもいいような物事にも答えを急ぎ過ぎているようにみえる。

芸術の分野は昔から割り切れない感情や相反する問題などをよく扱ってきた。
文学や映画の世界では、殺人などのアンモラルなことや不健全さもそのまま描かれる。
それは犯罪や不健全さを肯定しているわけではなく、そういった状況を設定することで、
むしろ真実や大事な価値観を炙り出そうとしているからではと考える。

例えば不倫というテーマも文学のなかでよく描かれてきた。

そもそもがひとの心の動きは矛盾を孕んでおり、倫理などを超越して好意をもってしまう。
好きになることが許されない状況だとしても
心は自律しているので魅力を感じる存在のほうに、本能的に吸い寄せられていく。

ひとを好きになることは極めてナチュラルな心の動きなので止めようがない。
心を動かさないってことは死んでしまうことと同じではないのか、
などと読むひとに問題意識を突き付けるのが文学の役割で、
大事なのはあくまで最終的な判断は受け手側に委ねるところだろう。

犯罪に手を染めたり、不倫してしまうひとびとの心のうちを想像し、
状況によっては自分もそうなってしまうかもしれないと考える。
仮定を積み重ねることで、ひとは矛盾し相反する感情を持つ存在だと知ることができる。

喫緊にせまる社会問題などはすぐに答えを求められるし、曖昧さは残さないほうがいい場合も多い。
しかしいま決める必要がないことはなるべく後伸ばしにするのは悪いことではないと思うし、
それも成熟した社会の問題解決のひとつなのではないかと考える。

もっと本を読み、もっと映画を観るだけでも、だいぶ社会は変わるのかもしれない。

和火やってます。

作家活動やってます。

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