すいせい

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デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです

丑年

2021.01.02


本年もよろしくお願いいたします。

 

すいせい

代表

樋口賢太郎

 

和火のインスタやってます。

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下記の通り、休みをいただきます。
ご不便をおかけしますが、ご理解いただきますと幸いです。
 
◎年末年始休業期間 
2020年12月28日(月)~ 2021年1月2日(火)
 

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樋口賢太郎 
 
 
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声なくして…

2020.12.23

もともとこの言葉は、松江重頼が編集した犬子集に収められた俳句「声なふて人やよびこむ家ざくら」に由来するらしい。

いい商品は、声高に宣伝しなくても、口コミなどで自然と広がっていくものである。
むしろ広告を打たないほうが長い目でみると、信頼を得ることができる。
という堅実な商売の在り方を示す言葉として使われている。

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非常勤を務めている多摩美術大学の対面の授業がようやく先月から始まりました。
まだコロナは終息していないので、今後も対面で続けられるのかわからないのですが、
とりあえずいまのところ通常営業となっております。

 

教えているのはグラフィックデザインで、「Minor food campaign」と題して、
自分が好きなマイナーな食べ物を、学生にそれぞれブランディングしてもらっています。
水沢うどんでも、阿蘇高菜でも、ビリヤニでも、マイナーな食べ物なら何でもいいので、
自分で選んだモチーフをデザインの力によって認知向上、普及して行く内容です。

 

デザイナーの仕事は価値をつくることだと僕は考えており、
世の中では新しい魅力的な価値を生み出せる人のところに仕事が集まっています。
まだ世に知られていないマイナーである食べ物をどのようにプロモーションするのか、
そのことは価値をつくることに他ならず、将来的に仕事でブランディングをするのとなんら変わりはありません。
課題を通して少しでも価値をつくることのきっかけになればと思っています。

 

ただ課題としてはシンプルだと思うのですが、意外と力量が問われるようで、
どうやって進めていけばいいのか途中からわからなくなってしまう学生も出てきます。
一番多いのはデザインのイメージが湧かないケース。

 

デザインする場合はイメージ=到達目標がとても大事で
最終的なビジョンがないと、進めづらいですし、モチベーションも高まりません。

 

そういったイメージが湧かない場合はデザインがどういう環境におかれるか考えてもらいます。
価格や売り場などの周辺的な事実を決めていくと逆説的にデザインが決定されるからです。

 

よくよく考えてみると、自分でデザインする場合も
周辺的な事実から導き出されることが多く、完全にフリーな仕事ってあまりないんですよね。
例えばパッケージデザインの場合は少なくともどういう売り場に置かれ、
いくらくらいの商品かという情報がないと、さきに進みません。

 

つまりデザインは環境によって生み出される側面が強くあるのです。
 

では環境として一番大事な要素はなにかというと、やはり「時代」だと思います。
いまの時流の中で最適化されているかどうかが、デザインのファーストプライオリティではないでしょうか。
この傾向は広告の分野ほど顕著で、時代にフィットしていないと効果を生むデザインにはなりません。
もちろんただ流行りを追うというのではなく、流行りを知った上で、
こういうデザインはどうですか?と提案できることが僕は大事だと考えています。

 

次は価格とターゲット。これは概ねセットのことが多いです。
ターゲットによって価値観、所得なども異なるので、価格はターゲットによって決まってくるし、その逆もある。
概ねターゲットは絞った方が効果的なので、
マーケターに、世界中の学生とサラリーマンと経営者をターゲットにしますと言うとほぼ反対されるでしょうが、
iPhoneなどの先例があるので、その意見が全てではないと思います。

 

あとは売り場。商品と場がマッチングしているかが大事。
お客さんがたくさん来る場所ではなく、商品に興味がありそうなお客さんが来る場所が基本でしょう。
いまはインターネットの影響で、売り場自体が消失する傾向にあり、売り方もだいぶ変わってきていて、
当然そのことはデザインに影響を与えています。

 

環境から決定される商品づくりのことを業界では「マーケットイン」と呼んでいます。
20代女性に綿密にマーケティングをやった結果、こういうニーズが見つかり、こういったテイストのデザインが売れそうです。
という話はよくあるのですが、あまりに綿密にやりすぎると商品としての面白さはなくなっていく傾向にあります。
対象となるマーケットが豊かでなければ、出て来る結果も当然面白くはならないからです。

 

逆に市場は一切見ずに、自分がいいと思う商品を納得いくまで追求しましたという方法は
「プロダクトアウト」呼ばれており、マーケットに依存しないので、まったく新しい商品をつくりだすことができます。

 

どちらの手法も一長一短で、iPhoneはプロダクトアウトだと思われがちですが
すでに存在していた音楽プレイヤーと携帯電話とインターネットを組み合わせて生み出したものなので、
マーケットイン的な側面もあります。

 

手法にとらわれずにいつもクリエイティブでいたいなあと思っています。
あくまでもクリエイティブでいるための手法なので。

 

1枚目の写真は最近の授業風景(だいぶ間引いて座っています)、2枚目は昨年12月頃の校庭の様子

 

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家籠りの日々の中、むかし読んだ小説や映画などをみなおしていると、
若いときにはピンと来なかったモノゴトがわかるようになっていて面白いです。

 

再度観た映画で感銘を受けたのは「青いパパイヤの香り」。

 

観るのはおそらく10代の頃以来で、そのときはアジア系ののんびりした映画という印象くらいにしか感じなかったのが、
いまになってみるとよくこんな映画が撮れたものだなと、何度も膝を打ちながら楽しむことができました。

 

映画の舞台は1951年のベトナム。ある少女が資産家のもとに奉公に出てから大人になるまでが描かれています。
シンプルなストーリーなので難解なところはありませんが
主人公であるムイの心の内はあまり描かれず、何を感じているかは受けて側に委ねられるので
ある程度想像し、推し量かれる人の方が、この映画を楽しめるかもしれません。

 

ストーリーがシンプルなのはおそらくそっちが主ではないから。
監督がこの映画で描きたかったのは「暮らし」のほうだと思います。
もっと言えば「かつてベトナムに存在した暮らし」でしょうか。
当時電気は通っていますが、ガスや水道はなく、調理するにも火は炭火で、水も大きな甕に汲み置いたものを使っています。
そういった日々の生活が見事なまでに美しい。

 


ムイの奉公先である資産家の家屋は広い敷地のなかにゆったりと建てられていて、
パパイヤの木などが植えられた庭には鳥が飛び交い、虫の声が一年中響きます。
東南アジア特有の風通しがよい建物は、外と内が緩やかに繋がり、
室内にいても存分に自然の豊かさを楽しむことができます。

 


高く天井まで伸びる柱や扉に施された細工の美しさ、用いる石や木など素材のバランスの良さ。
重層的なつくりの空間は夜、明かりが灯ると、さらに奥行が増し、昼間よりも魅了されます。
最初のシーンが夜に始まるのは、おそらく監督も夜のほうが魅力的だと考えていたからだと思います。

 

手仕事による生活道具の数々にも目を奪われます。
当時は皿や茶器類、机や椅子などの素材は、まだプラスチックには置き換わってないようです。

 

大量生産される品々の粗悪さに声を上げたのは、イギリスのウィリアム・モリスやジョン・ラスキンらでしたが
1950年代のベトナムではマスプロダクションの波は押し寄せておらず
良質な手仕事の品々だけで構成された世界を見ることができます。
アンティークなどを揃えて撮影したのでしょう。

 


撮影時の監督は若干30歳くらいですが、よくその若さでここまでの世界を構築できたものだと感心します。
空間に対する鋭敏な感覚、器や調度品などを選ぶ目の確かさ、そして豊かさとは何であるのか答えを持ち合わせている聡明さ。

 

監督が考える豊かさとは、1950年代のこの家を映画の舞台にしたことだと思います。

 

近代化を経ると、手仕事は大量生産品に取って代わられ、建物もインフラを組み込んだものになってしまいます。
当時蚊帳を釣って寝ていましたが、暑いからといってあの空間にエアコンをつけるわけにはいかない。
エアコンは機密性が高いことで効果を発揮するので、風通しがいい家屋は全てをつくり変えなければ設置できません。
台所なども同じで、壊して以前と同じレベルの設えにするには、伝統家屋が要してきた年月、つまりは数百年はかかるでしょう。
そういった意味でこの時代を選んだ監督は慧眼の持ち主です。

 


舞台を資産家という設定にしたのも暮らしのスケールの幅が描けるからだと思います。
庶民の文化だけを扱うとなると、質素な器を扱うことはできても高価な器は難しいから。
また資産家であってもいわゆる成金ではなく、主人は芸術・文化にも精通し、とても趣味がいい。
しかし芸術を愛するあまり、本業の商売はそっちのけで、奥さん任せ。
ときどき有り金をポケットに入れて蒸発する設定もリアリティがあって面白かったです。
「売り家と唐様で書く三代目」の人ですね。

 

質ではなく利便性が世の中を牽引するようになって久しく、
人々はなかば強制的にテクノロジーと生活を交える時代になりました。
質と利便性の両方を兼ね備えた製品をつくりだすアップルのようなメーカーは珍しく、
暴力的ともいえる変化を受け入れていく状況はこれからも続いていくでしょう。

 

もちろんだからといって1950年代のような暮らしには後戻りできないと、
簡単に開き直ってしまってもいいものなのか、考えさせられる映画でした。

 

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