すいせい

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デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです

今回はプロによるものでない民藝的なグラフィックデザインをご紹介します。

 

上はおそらく中野あたりで遭遇した垂れ幕。
子供がクレヨンみたいなもので書いたのか、のびやかな緩い文字がいいですね。
計算されていないある意味隙だらけのデザインは見る人の気持ちをほどいてくれます。

 

これはホームである東松原の看板。<生田流>と<琴古流>を小さい文字で組むことで、要素をわけ、
末尾に縦組みで「教室」と配し全体を引き締めている意外と高度なデザインだと思います。手書きの丸ゴシックもいい。

 

「〜」がポイント。おそらくパソコンの設定ミスでしょうが、紙一枚分を締める大きさにロック精神を感じます。

 

ビワが入っていた段ボール。枯れた味わいというか、緑とオレンジの組み合わせがしみじみ良い。
色が重なることで表現に奥行きが出ていますが、よく見ると狙ったものではなく、版がただ下方向にずれているだけですね。
印刷の再現が多少悪くても魅力を失わない力強さ、日本人なら老若男女問わず、素直に美味しそうと感じるであろうシズル感が最高です。
この絶妙なデザインを超えるのは一流のデザイナーでもなかなか難しいと思います。

 

教会の壁面に描かれていました。平和の象徴である鳩を平和的に表現するとこうなるのでしょうか。
描いてるひとがとても晴れ晴れと居心地がよく取り組んでいるのではと想像しました。

 

看板のはしっこが擦れているのがまた渋い。黒と赤の組み合わせと、大きい「る」とルビの「Ru」のレイアウトが面白い。ふつう「Ru」に「る」ですよね。いわゆる平面構成で言うところの粗密のバランスを押さえてもいます。

 

高速で遭遇。もしかしたらデザイナーがいるかもしれない「FKK」ですが、アノニマス性を感じます。
無骨に力強く組まれたタイポグラフィは車両などの鉄工的なプロダクツと相性がいい。

 

これも東松原の貼り紙。流れるように書かれた「Sale」の赤文字に目を奪われました。
自分みたいにデザインに対して固定概念を持ってしまった人間にはなかなかつくれない。
表現者はやはり「囚われて」はいけないことを思い知らされます。

 

特徴的な「梅」の字とぼそぼそしたテクスチャがいいですね。インクが切れかかったマジックのようなもので書いたのでしょうか。
母の払いが沢の払いとリンクし、リズムを取っているようにも見えます。

 

グラフィックデザインの条件はいろいろとあると思いますが、ひとつに「絵的な面白さ」あることだと考えています。
この要素がないとグラフィックデザインではなく、ただの張り紙なのです。
そう言った意味で街中の看板や張り紙は、邪念や固定観念に囚われない自由さによって、
立派にグラフィックデザインに昇華されていると感じます。

 

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今年の抱負

2021.01.29

今年は直感力を高めたいと思っている。

 

最近、『民藝の擁護』という書籍を読む機会があり、改めて民藝と柳への理解を深めることができた。

 

本書を読むと、民藝の提示の仕方については、
もうちょっとわかりやすい方法があったのではと思わないでもないが
柳が千利休以来の天才と評される理由がよくわかった。

 

二人の傑出した才能が見出した「美=価値観」は本来あるようなないような曖昧なものでとても掴みづらい。
その霞のような曖昧さをきちんと見える形で提示し、言語化し、
ムーブメントをつくりだした功績は大きく、のちの日本の文化に多大な影響を与えたと考えている。

 

例えば無印良品に通底する素材を活かすというコンセプトの背景には、千利休の侘び茶の精神があると思われる。
利休以前も、素材の良さを活かすという価値観は、ふわっとした感じで存在していただろうが
侘び茶という「物の見かた」を通すことで、アウトラインがくっきりと認識できるようになった。

 

民藝については、まだ創出されてそんなに時間が経っていないこともあるので
影響を受けた例を参照するには時期尚早だと思うが、
柳宗理をはじめとするプロダクトデザイナーがアノニマスデザインに気付く手がかりとなったのは確かだろう。

 

どちらにも共通しているのは、
特別な物事=非日常にではなく、ありふれた物事=日常に価値を見出したことで、
この価値観はとても日本的だと考えている。
日本の自然の豊かさが、見逃してしまいそうなくらいの微差を尊ぶ繊細な感覚を育むことに
繋がったのではと推察しているからだ。

 

ちょっと話が逸れて来たので、本題に戻すと、
「直感を働かせない」と美しいものは見えてこないと本書のなかで柳が述べていた点が興味深かった。

 

普段なにげなく直感という言葉を使っているが、我々は十全にその感覚を発揮していないらしい。
世俗的な評価、一般常識、事前の知識など一切の雑念を取り払った状態でなければ
真の意味で直感を働かすことはできないからと柳は言う。
 
また純粋な心がなければ幸せになれないと、仏教の信仰心についても引いており、
どちらにも共通して大事なのが、しがらみから離れた心の状態であるとも書いていた。

 

つまり他人と自分を比較したり、常識的な価値観に縛られていたり、
世間の評価などに惑わされていると、なにが自分にとって大事な価値観なのかわからない。
なぜならば大切なものごとを求める際の心の声はとても小さいので、
ノイズがない静かな状態でなければ聞こえてこないからである。
美しさを知覚するのも同様なのだろう。

 

そういう意味で、SNSの活況ぶりを考えると、いまほど忌避すべき情報が飛び交う時代もないと思われる。

 

初めて目にしたり、体験する物事はだんだんと少なくなり、どこか既視感があるものばかりである。
人々の評価も色んな方向から流れてくるし、知りたくもない過剰な情報を日々摂取している。

 

柳の言葉を信じるとしたら、美しいものや幸せを手にするには、もっとも適していない時代と言えるかもしれない。
こんな時代に生きていると、もしかしたら自分が好きだったり、評価しているものごとも、
本当はぜんぶ幻想だったということにもなりかねない。

 

今年はどのようにすれば上記の意味で直感を働かせることができるのか考えたいと思っている。

 

本書を読むことでようやく「直下(じきげ)に見よ」という柳の言葉の意味が理解できた。

 

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丑年

2021.01.02


本年もよろしくお願いいたします。

 

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ご不便をおかけしますが、ご理解いただきますと幸いです。
 
◎年末年始休業期間 
2020年12月28日(月)~ 2021年1月2日(火)
 

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