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デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです

醤油差し遍歴

2018.02.27

みなさんは普段どんな醤油差しをつかってますか?

 

「理想の醤油差しを探すのは一生の仕事」とは料理研究家小林カツ代の言葉ですが
確かにこれだ!という醤油差しに巡り合うのはなかなかむつかしいものです。

 

なぜなら醤油差しって単純そうなのに、求められる機能が意外とたくさんあるから。
そして要求される水準も高いのだと思います。おそらく日常的によく使うからでしょうね。

 

今回は僕が所有する醤油差しの中からベストを選びつつ、その理由を説明していきたいと思います。

 

上記の写真が僕がいままで使ってきた醤油差し。
まず醤油差しに求められる機能として、液だれしないってことが一番に挙げられるでしょう。

 

醤油は有機的な高濃度の液体であるゆえ、とにかく扱いづらい。
白木の机なんかは一発で跡ができてしまいますし、繊維に対してもシミになりやすく、
こぼれた場合はきちんとふきとるのもけっこう大変です。
おろしたての真っ白なワンピースなどにはなるべく近づけたくないですね。

 

なので購入する際は、そのことをきちんと店員さんに確かめたり、レビューをしっかり読んでいるので
液だれするものは持っていません。
まあおそらく他の人もほとんど同じような感じではないでしょうか。

 

問題として次に挙げられるのが目詰まりだと思います。

 

この醤油差しはほぼ100%の確率で口の部分に醤油が溜まり、そのまま放置すると出なくなります。
買ってきてすぐその問題が発覚してがっかりしました。
形は好きなんですけどね。

 

ただこの問題は程度の問題とも言えるでしょう。
後に出てくる醤油差しのように頻度と他のメリットを天秤にかけてメリットが上回ることもあるからです。
しかしこの醤油差しの場合はあまりにも高頻度なので、形の良さが上回ることはありません。

 

次に大事なのは安定感があるかどうか。
これくらい高さがあるとどうしても転倒しやすくなります。

 

こちらも同じくらいの高さですが、底部方向に形が広がっているので重心が下に移動し、安定しています。

 

もちろん慎重な人は背が高くても大丈夫なんだと思いますが、僕は不注意な人間なので、
倒れやすい醤油差しは不向きです。

 

残るはこの3つ。

 

このあたりになるとだいぶ絞られてるので、かなり判断が難しく、良いか悪いかは個人によって変わってくるでしょう。

 

真ん中の白磁のものは形も美しく、詰め替えもしやすいのですが、これもけっこう目詰まりしやすいんですよね。
冒頭のほどではないですが、そもそも醤油差しにはこの形状の注ぎ口は向いてないのかもしれません。
無理やり傾けていると、求めている量を超え、一気にドバーっと出てくることもあります。
ただ頻度的にはたまにという感じなので、よく洗うので問題ないという人もいるでしょう。取捨選択の問題。
あと磁器製で残量が見えないのが自分的にはややマイナスでしょうか。そういった理由で食卓にはそんなに登りません。

 

話は変わりますが、醤油って一滴二滴だけの場合と、のの字を描くくらいたくさんかける場合がありますよね。あるいはその中間的なかけ方も。
多用途ってのも醤油差しの存在を難しくしてる要因のひとつだと思われます。

 

ということで残りはこれら。
この2つは日常的によく使っているのですが、気に入っているのは右の方でしょうか。

 

左は絶対に液だれしないを謳い文句に何年か前に発売された商品で、その文句通りぜんぜん液だれしません。
形もあの有名な醤油差しをオマージュとしているのか過不足なく秀逸だと思います。
ただ機能は十分で過不足ないのですが、使っていて楽しいのは右の方なんですよね。
それが、抑揚が豊かなシルエットや手にすっぽり収まるかわいらしいサイズ感によるものなのか
理由はまだ完全にわかってないですが。

 

しかしこれにも容量が少ないという難点があり、現実的にはこの2つを併用しています。
上記はあくまで現在の僕が選ぶもので、ライフスタイルの変化によって今後順位が変動する可能性が十分にあります。
家族が増え、容量がないと使いにくので、やはり白磁のが良い。とかそのうち言い出すかもしれません。
そのあたりがデザインの難しいところ。絶対はなく、最適解があるだけだからです。
一人の人間の基準でさえそうなのだから、あとは推して知るべしです。

 

ベストなものを自分でも開発してみたいとは思うのですが、果たして何年かかることやら。

 

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毎年1月には抱負めいたことを書いているので今年もひとつ。

 

最近つくづく感じるのは大きな目標って大事だなということ。
仕事においても人生においても、どこを目指して行きたいかという大きな目標やビジョンがあると
結果が自ずと変わってくると考えています。

 

人生についても面白いと思うのですが、今回は仕事についての話です。

 

まず仕事には、大きな目標云々言う前に、お金を稼ぐという第一の目的があります。
しかし稼げるのであれば何でもいいわけではない。
稼ぐという意味ではコンビニのバイトでもいいわけですし、
人がやりたくない——例えば深夜——に働くことで正社員よりも効率良く稼ぐことができます。

 

しかし多くのひとがそうしないのは、やりがいもひとつの目的だから。
やりがいを持つ際に、ただの個人的満足でなく、大きな目標を目指すことが
いい仕事をするポイントになるのではないかと思っています。

 

自分がデザインを始めて間もないときは、流行りを追いかけたり、
単にカッコよければいいといった、自己満足の追求ばかりでした。
目指すデザインに含まれるものがとても少なかった。
しかし問題解決にも(当然に)きちんと向き合うようになり、
日本や伝統を意識したり、民藝に出会ったり、
だんだんと自我から距離を取ることができるようになりました。
たぶん自我からの距離と、ビジョンの大きさって比例するんです。

 

話の流れで思い出すのが、ベネチア国際映画祭で宮崎駿が金獅子賞をとったときのインタビューです。
記者から感想を求められて「(受賞は)励みにはならない」と答えていたことが印象に残ってます。
当然と言えば当然かもしれないですが、宮崎さんくらいになると賞を目指して作品をつくっていないんですよね。
宮崎さんのドキュメンタリーなどを見ていると、映画の試写に必ず子供たちを入れて、
どう反応するかをとても気にしているように見えました。
想像ですが、宮崎さんが目指す大きなビジョンとは
「嘘をつくことをまだ知らない年齢の子供たちが心の底から喜ぶこと」なのかもしれません。

 

大きな目標を掲げることがいいのは、辿り着くまでのプロセスにも意識的になれるところ。
それは、受験をパスするためだけに勉強するのと、目的があって勉強するのとでは
努力の質が変わってくることからも想像できると思います。
納得でき自分自身でも腑に落ちるので、プロセス自体も楽しめるようになります。
賞はあくまで通過点でしかなく、自分が掲げる目標にどれだけ近づいたのかが
評価基準になるってだいぶ健全なことではないでしょうか。

 

いまのところ自分が仕事において目指しているのは、Aboutにも書いているように

 

持続可能性 × 伝統 × 地域性

 

です。

 

デザインを通して社会がそのような方向に少しでも進んだらいいなあと思っております。
とりあえず今年はプロセス自体を楽しみながら仕事を進めていきたいです。

 

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TOP AWARD ASIA

2018.01.19

加茂錦酒造の梅酒がTOPAWARDS ASIAを受賞しました。

 

https://www.topawardsasia.com/home/umeshu

https://www.topawardsasia.com

 

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戌年

2018.01.01

本年もよろしくお願いいたします。

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樋口賢太郎

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普段はデザインなどに関連することばかり書いているので
今回はあまり関係ない、やや夢見たいな話を記事にしてみたいと思います。

 

これは昔から考えている世の中がちょっと良くなるんじゃないかというプロジェクト。
とてもハードルが高そうだけれど、実現すれば社会が混ざることで、
人々の相互的な理解度が増し、世の中が上手く廻っていくきっかけになるのではないだろうか。
ちなみに経済効果とかスキルアップとか直接的なメリットは皆無です。

 

その内容とは、自分がいま就いている職種からなるべく遠いと考えられる仕事を義務的に経験させられるということ。
半年でもいいし、短ければ3ヶ月くらいでもいいけど、ある程度長い方が効果が出そう。

 

以下概要。

 

人々は毎日決まった仕事に従事している。それが日常である。
料理人ならば厨房で食材と格闘しているだろうし、プログラマーならモニターをにらみコードを書いている。
学校の先生なら生徒相手に教えているし、農家ならば畑に種を蒔いているだろう。
とてもいいことだ。なにも問題はない。
専門性を高めるのは大事なことだし、社会にはそういう人々が増える方がメリットがあるのだけれども、
限られた仕事をするだけが世の中にとって本当にいいことなのだろうか。

 

なぜそう考えるかというと、現代社会で働く人はとかくルーティンに陥りやすく、
世の中の仕組みを知る機会が減っていると思うから。

 

働き始めて間もない頃は、目に入るものはなんでも新しいので、
乾ききったスポンジが吸収するようにさまざまな物事を経験していく。
しかしその吸収も一定のラインを越えると飽和して、止まってしまう。
インプットがなくなった状態でも、本人としては実務経験があるので、
社会のことをよく知った気になっているかもしれないが、
知っているのは会社内だけだったり、専門の範囲に限定されることが多い。
ひとたび外に出ると常識が通じなかったり、初めて知ることも多いのではないだろうか。
(自戒を込めたプロジェクトなんです)

 

社会のことを知らないと、他の人がどういう日々をおくっているのか想像する機会が失われてしまう。
例えば弁護士の、漁師の、保育園の先生の、自動車のセールスマンの、エンジニアの、
国会議員の、パイロットの、映画監督の、ジャーナリストの日常がどういうものなのか僕は知らない。

 

知らないと想像しづらいので、他の人々への理解や優しさを持ちにくくなると思う。
逆にどのようなことが大変なのかと知っていると、ある程度は寛容になれるだろう。

 

まあ簡単に言ってしまえば、理解や優しさがない人の典型が酒場で説教をはじめるオヤジであり、
そういう人々が少ない方がいい社会だと思っているわけだ。
もっと言えば、ギリシャ哲学的な「自分が世の中のことをどれだけ知らないのか自分で分かっている=無知の知」
のようなものを啓蒙するプロジェクトとも言えるかもしれない。

 

具体的には、働く場所は変わっても給料は変わらず、もともとの額が本来の職場から支払われる。
医者だったり、パイロットだったりと専門的過ぎてまったく関われない分野もあるだろうから
そういう場合はアシスタントとしてつけてもらう。
タイミングが悪く、すぐに職場を離れられない場合は猶予期間が考慮される。
あるいは2つの仕事の掛け持ち制でもいいかも知れない。その場合は働いた時間の合計でカウントする。
公務員も民間で働ければ一番良いけれど、不可能ならば公務員の中で交代する。
(民間人も公務員を経験できるといいですね)
難しいのは僕みたいに会社から給料が支給されない自営やフリーランスのケース。
その場合はある程度税金を使わないとできないかもしれないが、とりえず着手しやすそうな会社員からスタートして様子を見る。

 

最初人々は戸惑い、不平不満を述べ、社会は混乱すると思われる。
しかしロングスパンで見てみれば絶対にいい方向に進むと思う。
やや大げさに言えば、プロジェクトを通して得られた「想像する機会」は、社会的な相互理解を助長するだけでなく、
人種差別やテロなども抑止することができるのではないだろうか。

 

同じように、義務的に役割を与えられる裁判員制度が導入されているのも
「想像する機会」が足りていないと人々が潜在的に思っているからなのかもしれない。

 

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