デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです
アイデンティティとオリジナリティ
デザイナーとして活動しはじめた当初より、生まれ育った地域や文化は、大きなテーマだった。
ひとことで言ってしまえば「日本」ということになるのだが
最近はその言葉が持つ意味合いに、政治的あるいは思想的な違和感を感じるようになり、
いまのところは「地域的」という表現のほうがしっくり来ている。
(伝統や神道、あるいは夫婦別姓などという言葉が安易に保守や左翼などと結びつくようになり
軽々しく使えない状況はいつまで続くのだろう。ひとは一面的には語ることはできないので
当然保守的な部分もあるし、進歩的な面もある。言葉が歪んでみえるのは時代が歪んでいるからだろうか)
閑話休題
歪みはともかく、日本をテーマとして考えるようになったのは
学生時代の恩師佐藤晃一先生との出会いからであった。
大学3年生のとき「日本」をテーマとしたポスターをつくりなさいという課題が
佐藤先生より与えられ、あまり意識しなかったことに向き合うようになった。
学生の頃はどちらかと言えば、国籍を感じさせない表現に惹かれていて、むしろ欧米に目が向いていた。
デザインという言葉自体が外来語なので、西洋を向いている方が自然だったし、
ポスターなどで文字を扱う場合もアルファベットの方がしっくりきた。
そんな具合だったので佐藤先生の課題はどうやって取り組もうかと思案した。
作品をつくることは、花を育てることに似ている。
種を蒔き、なるだけ美しい花を咲かせるように養生していくが、そもそも土壌が豊かでないと芽は出ない。
意識したことがない分野は、土壌がやせていてガチガチに固い状態であることと同じなので
耕すために鍬を持つところから始めなくてはならない。
逆に常日頃から意識して、考えている分野は、ふっくらと柔らかく耕されていて栄養分も豊富なのだと思う。
志が高いデザイナーは、いつでも種を蒔けるように、空いている畑でも手を入れていることが多い。
課題は最後の最後まで苦しんだが、結果自分でも納得いく仕上がりとなった。
先生にも高く評価していただき、以降自分と日本との関係性をはっきりと意識するようになった。
東洋>東アジア>日本>東京。自分がいる場所はこのように認識していて、
この横軸に、伝統や歴史という縦軸が掛け合わされる。
もし自分のルーツに外国の血が含まれていたら、また軸が複雑になる。
いわゆるアイデンティティということになるが、オリジナリティはアイデンティティと不可分で
なにかしらの表現をしようと思った際には、まずは出自であるアイデンティティの確認が求められると思う。
日本のアイデンティティの上にしか、日本のオリジナリティは花開かないし、
フランスのアイデンティティの上にしか、フランスのオリジナリティは花開かないからだ。
そして地域にしばられない完全に無国籍な表現はないと思っている。
幸いにも日本は様々な文化の土壌が豊かで、デザインに関してもオリジナルな表現を探すことができる。
佐藤先生の課題は、自分の足元を見て、その豊かさに気付くことをひとつの目的とし、
自国の文化にしっかりと根を下ろし、養分をしっかり吸い上げられると、息の長い制作活動が可能になることを教えてくれた。
日本人としてのオリジナリティを深めて行く先に、個としてのオリジナリティがある。
最近はシンプルであること、素材コンシャスであることが個人としての大きなテーマである。
※和火やってます。
※作家活動のインスタやってます。
今年の抱負(というか、ご報告)
本年から鎌倉のほうに事務所を移転いたします。
土地を購入し、時間をかけて建築計画を進めて参りました。
いま拠点としている世田谷区は緑も多く、利便性も高い環境なのですが、
もっと自然を感じられる場所で暮らしたいという本能的な感覚がだんだんと強くなり、
事務所+自宅が建てられる土地をいろいろと探し回っておりました。
山だけでなく海もあるのが鎌倉を選んだ理由です。
そういった環境が与える影響がどのようなものなのかわかりませんが
自然が近くにあることで得られる豊かさをデザインに反映し、
よりクオリティが高い仕事をしていければと考えております。
家を建てることははじめての経験で、当然積もる話はたくさんあります。
コンセプトというか、どのような方針で考えていったのか、
その内容はまた別の機会に譲ることとし、転居の報告とさせていただきます。
すいせい
樋口賢太郎
※和火やってます。
※作家活動のインスタやってます。
年末年始の営業のお知らせ
下記の通り、休みをいただきます。
ご不便をおかけしますが、何卒ご理解いただきますようお願いいたします。
◎年末年始休業期間
2024年12月28日(土)~ 2025年1月5日(日)
すいせい
代表
樋口賢太郎
※和火やってます。
※作家活動のインスタやってます。
身体性の書4
おそらく誰にでも、手放すことができずにいつもそばに置いておきたい本があるだろう。
読み込むうちに血肉化していわば自分の身体の一部になったとでも言うのか。
「身体性の書」ではそんな本たちについて語ってみたい。
第1回はこちら
第2回はこちら
第3回はこちら
『はなしっぱなし』上下巻
五十嵐大介
初めて来たがこの場所を知っている
この漫画を読むと、足下に強い潮流を感じ、遠くへと運ばれていることに気付く。
圧倒的な物語の力によって、引っ張られていく先はとても不思議な場所だ。
そこには時間がない。
過去であり、未来であり、一瞬が永遠であり、永遠が一瞬である。
そこには大きさがない。
マクロであると同時にミクロでもあり、ミクロであると同時にマクロでもある。
そこでは意味を持たない。
形は形のまま、色は色のまま、まだ意味というラベルは貼られていない。
そこには生死がない。
生と死は対立するものでなく、等価なものとして存在する。
しばらくたたずんでいると、この場所を知っていることに気付く。
初めて来たが、世界のありようには馴染みがあるのだ。
ここは自分に一番近く、一番遠いところ、潜在意識の奥底。
シャーマニスティックと言ってしまっていいかもしれない短編の数々は、
現代のお伽噺と表現できるだろうか。
世の中のお伽噺はいにしえから伝えられるものが多く、
自分との距離を感じる場合があるが、ここでは時代背景をあえて現代に設定することで、
そういった種類のファンタジーが現代でも力を持ちうることを示している。
動物と話ができたり、精霊が見えたりする。さまざまな想像上の生き物も登場する。
象徴的だったり、隠喩的だったり、直喩的だったりするが、いろんな角度から解釈ができる。
不可思議な話ばかりだけれど、なぜだかすとんと腑に落ちる。頭ではなく、身体で理解できる。
『カイエ・ソバージュ』でも示されるように、人が自然や動物との対称性を獲得するには、
バランスがとれた「善なる物語」が必要となってくる。
洞窟のなかで、火を焚き、そのまわりにひとびとが集まり、シャーマンから出る言葉を待つ。
それは精霊の言葉でもあるし、生き物の代弁でもあるし、自然からの予言であるかもしれない。
かつて人々はそのように関係性を保っていた。
この漫画では、現代では聞くことができなくなった声をふたたび耳にすることができる。
五十嵐はいまを生きるシャーマンなのだ。
※インスタグラムやってます。
※作家活動やってます。
砂漠へ 終
夜もまだ明け切れぬ内に砂漠のテントを出発し、ラクダの背中にしばらく揺られていると、
息を呑むような朝焼けとともに、徐々にサハラ砂漠が姿を現していく。
ぼんやりとしていた稜線が少しずつはっきりとしてきて、遠くまで見渡せるようになった。
砂漠を別の惑星などと称することがあるが、確かに普段自分がいる地球と同じとは思えない。
陳腐な表現だなあと思っていたが、同じように感じてしまう自分がいて笑ってしまった。
圧倒的なまでの抽象性とでも言うのだろうか。
細かい石英の粒のみで構成される世界を前にすると、
自分という存在の具象性さえ吸い込まれていくように感じる。
ここでは自然の表出の仕方が見事だ。
砂という単一の素材で構成される世界では、風がつくりだす形が明確に現れる。
普段暮らす日常は混沌としていて、風が持つ造形力がはっきりしないが、砂漠だとそれがわかりやすい。
加えて砂の粒子がとても細かいので繊細に現れる。
つまり砂漠では風が可視化されるのだ。
虹や雪の結晶やオーロラなどと同じように、自然現象を純粋に楽しめる場所だと思う。
あまりにも精緻な風紋は、紙の上に書かれた数式のようにも見えてくる。
砂漠近くの街のメルズーガには昨日の夕方に着き、
そこからベルベル人が手綱を引くラクダに乗り、テントまで数時間かけて移動した。
砂漠はベルベル人の領域だ。もともと北アフリカの平野部の先住民だったが、
7世紀頃に侵略してきたアラブ人に追われ、砂漠に住むようになったらしい。
ここから砂漠に入っていった
ラクダは思ったより快適だった。馬などとは違い、
足の先端にぷっくりとした肉球が発達していているので、振動が少ないからだ。
性格も穏やかだし、昔から砂漠の交通手段として選ばれるのがよくわかる。
キャラバンは盗賊に襲われたり、砂嵐にあったり、咽の乾きに苦しんだりと、
いろいろと大変なこともあったと思うけれど、ラクダに乗る部分だけなら、
かなり優雅な旅だったに違いない。それぐらい気持ち良い。
この快適さがかつての交易を促し、文明を発展させていったのだと思う。
テクノロジーなど何でもそうだが快適なものだけが時代を変えて行くのだ。
砂を手に取ってみると液体のようにスルスルと指の間からこぼれ落ちて行く。
流動性が高い砂は頭髪や耳の中など身体のあらゆる部分にまとわりつき、
生活の様々な部分にも浸透していく。
iPhoneは半日でケーブルがささらなくなった。
塩害ならぬ砂害なのか、砂漠に入る際は精密機器をビニールで覆うのは必須らしい。
カメラはもちろん覆う。
砂丘も一見カタチを保っているように見えるが、柔らかく掴みどころがない。
試しに小山ほどの砂丘に登ろうとしてみたが、
三歩目くらいで足が取られて動けなくなってしまった。
砂に対する認識がだんだんと変わって行く。
夜はタジン鍋の煮込み(ちょっと飽きてきた)+ホブス(平たいパンみたいなもの)と
ピラフ(美味しかった)を食べた。
ロウソクだけが灯されたテントでとる食事は、なかなか雰囲気がある。
料理はむろんベルベル人がつくる。
タジン鍋は砂漠のような水が貴重な地域が発祥らしく、
食材の水分だけでいかに効率よく煮込むかを目的に考案された料理法だ。
当初は合理性が目的だったかもしれないが、食材の持ち味を生かすことにも繋がるので、
現在ではむしろ美味しく食べるための料理法として世界に広まっている。
タジンによく合わせるクスクスも必要最少限の水での料理が可能である。
お湯でも戻せるが、本来は煮込みの上に置き、その蒸気で蒸し上げる、
これもまたとても合理的な方法だ。
砂漠の料理を食べながら、なぜ水が少ない地域なのに煮込みがあり、
日本のように湿潤の国にはないのだろうと考えていた。
水がある方が煮込むという発想になりそうだが、
伝統的な和食でそのようなものは聞いたことがない。
長くても数十分煮込む程度で、だいたいはさっと煮たり、焼いたりしたものが多い。
シチューのように数時間煮込んだり、
中国料理のようにラーメンのスープをとったりすることはなかった。
例外的におでんがあるが、かつてどれくらいの時間煮込まれていたか正確なところがわからない。
比較的時間をかける関西のおでんは関東煮(かんとだき)とも呼ばれ、
そもそもが中国料理をルーツとしていて、名前も広東煮(かんとんだき)からとったという説もある。
食事の後、たき火の周りで演奏が始まった
煮込まない理由として日本では鮮度を重視することが上げられるだろう。
食材の新鮮さを生かすのは和食の基本で、過剰に手をかけることを好まないからだ。
しかしそれだけで煮込みという手段を捨ててしまうとは考えにくい。
中国から煮込みという料理法は伝わったはずだから、
知らなかったわけではなく、広まらなかったのだ。
そのことにはおそらく日本人の好きな「旨味」が関係していると思う。
鰹節や昆布などがあったので、長時間煮込む必要がなかったのではないだろうか。
旨味が豊富に含まれている鰹節や昆布からは手軽にいいスープがとれる。
そのような国では時間をかけて煮込むメリットは少ないだろう。
ラクダを降りて見晴らしがいいところから周りを見渡す。
砂漠の風景は自己相似的だ。
離れた場所の風景を切り取って持って来ても違いはわからないだろう。
足下にある小さな砂の山も背丈を超える大きな砂丘も、似た様な形をしている。
なので遠くが遠くに、近くが近くに見えない。
ここではスケールさえも交換可能なのだ。
自己相似的な交換可能さは徐々に感覚を麻痺させていく。
位置的な感覚、スケール的な感覚、時間的な感覚。
ところどころに小動物の足跡や枯れ草のようなものが、
交換されることにあらがう唯一の個性みたいに点在しているが、
圧倒的な麻痺の前では力を持たない。
麻痺することは迷ってしまった人には命取りだが、旅行者としては気持ちがいい。
むしろこういう感覚を求めて旅をしているのだと思う。
キャラバン隊からはぐれてしまい、朦朧とした意識の中、何日もさまよい歩いている。
風紋は美しさの秘密を解き明かす方程式だと、砂漠が語りかけてきた。
読み解くと確かに普遍的な美しさが証明されている。
これは世紀の大発見だと叫びたくなるが伝える相手がいない。
そんな完全に麻痺してしまった自分を、砂漠にしばらく想像して、列に戻って行った。
<終>
※この記事は2013年に投稿したモロッコの旅行記の再掲載です。
第一回目はこちら
第二回目はこちら
第三回目はこちら
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