デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです
オタクで変態な日本人
まえまえから日本人の本質とはなにかと考えていた。
過労死するくらい働いたり、融通がきかず真面目だったり、あるいは本音と建前を使い分けたりと、
いろいろと外の国の人から揶揄されてきたが、最近は表題のように「オタク」と「変態」という2つの要素が
本質なんじゃないかと思っている。
オタクとは、要するに部分に固執する性質のことだ。
全体を俯瞰するのではなく、ディティールについつい目が向いてしまう。
広い分野を横断的に渡り歩くよりも、ひとつの専門性を掘り下げたくなる。
最初はアニメやフィギアなどを修飾する言葉として使われ始めたが
基本的にはあるジャンルへの視野狭窄の状態を指していて、
その言葉が生まれるずっと前から似たような気質を日本人は有していたのだと思う。
iPodの裏の鏡面磨きやナノサイズの注射針をつくるなど
ディティールを極めることに関しては他の追随を許さない。
なぜそのような気質なのか勝手気ままに論じれば
おそらくひとつに稲作文化の影響があるのだろうと思う。
田んぼに稲を一本一本等間隔に植えていく作業は、細かな神経を育むことを可能にし、
意識がディティールに向かう傾向を生む。
加えて国土面積が少ないということも関係していると考えられる。
日本では基本的に「小さいことは良いこと」という考えがベースにあり、
ウォークマンから車までコンパクトにつくられてきた。
それは限られたスペースを活用しないといけないからで
「大きいことは良いこと」という大陸文化が生んだアメ車のコンセプトとはだいぶ違う。
田植えもそういった合理性が関係しているとすると、国土の狭さがオタク気質を育む要因になったのだろう。
変態とは、「方向性の特殊さ」だと思う。
グローバルに見れば、日本の鉄道ダイヤの正確さは稀有であるし、
掃除がすみずみまで行き届いている状態は潔癖である。
海外から訪れた人は、日本人が手づかみで食事をするわけでもないのに、
なぜ食べる前にお手拭きを使うのかわからないらしいし、
出発が数分遅れただけで詫びる列車内アナウンスは、世界ではニュースとして取り上げられる。
正確さと清潔さはもちろん悪いことではないが、グローバルに見ればかなり偏向しているのは間違いない。
その理由のひとつに島国という地理的な要因が関係しているのだろう。
情報がシャットダウンされやすいので、文化的にガラパゴス化してしまうからだ。
これが陸続きであれば他国から干渉されるので、特殊な方向に進んでも、ある程度の客観性は保たれやすい。
しかし海に囲まれていると、知らず知らずのうちに、一般性を欠いたエリアに流されてしまう。
さらには日本は鎖国までしていた歴史があり、他国に支配されたこともほぼないので、
純粋培養に近い形で変態性が保持されてきた。
そういった土壌が日本のユニークな文化を生んだし、現代でも変態でいることを社会的に容易にしていると思う。
ガラパゴス化しやすい弱点を除けば、上記の気質は価値をつくることにとても向いていると思う。
変態性はオリジナリティを生む豊かな土壌であるし、オタク気質はそのオリジナリティを磨くスキルに繋がることが多いからだ。
しかし現在は価値がガラパゴス化してしまい力を発揮できていないと感じる。
得てして変態やオタクの人々は自分たちが特殊であることに気づきにくい。
まずは日本人が変態でオタクであると認めることから物事は始まるのかもしれない。
※和火のインスタやってます。
※ただいまブログの引越し中です。旧ブログをご覧になりたいかたはこちらにアクセス願います。
醤油差し遍歴
大きな目標とはなにか
毎年1月には抱負めいたことを書いているので今年もひとつ。
最近つくづく感じるのは大きな目標って大事だなということ。
仕事においても人生においても、どこを目指して行きたいかという大きな目標やビジョンがあると
結果が自ずと変わってくると考えています。
人生についても面白いと思うのですが、今回は仕事についての話です。
まず仕事には、大きな目標云々言う前に、お金を稼ぐという第一の目的があります。
しかし稼げるのであれば何でもいいわけではない。
稼ぐという意味ではコンビニのバイトでもいいわけですし、
人がやりたくない——例えば深夜——に働くことで正社員よりも効率良く稼ぐことができます。
しかし多くのひとがそうしないのは、やりがいもひとつの目的だから。
やりがいを持つ際に、ただの個人的満足でなく、大きな目標を目指すことが
いい仕事をするポイントになるのではないかと思っています。
自分がデザインを始めて間もないときは、流行りを追いかけたり、
単にカッコよければいいといった、自己満足の追求ばかりでした。
目指すデザインに含まれるものがとても少なかった。
しかし問題解決にも(当然に)きちんと向き合うようになり、
日本や伝統を意識したり、民藝に出会ったり、
だんだんと自我から距離を取ることができるようになりました。
たぶん自我からの距離と、ビジョンの大きさって比例するんです。
話の流れで思い出すのが、ベネチア国際映画祭で宮崎駿が金獅子賞をとったときのインタビューです。
記者から感想を求められて「(受賞は)励みにはならない」と答えていたことが印象に残ってます。
当然と言えば当然かもしれないですが、宮崎さんくらいになると賞を目指して作品をつくっていないんですよね。
宮崎さんのドキュメンタリーなどを見ていると、映画の試写に必ず子供たちを入れて、
どう反応するかをとても気にしているように見えました。
想像ですが、宮崎さんが目指す大きなビジョンとは
「嘘をつくことをまだ知らない年齢の子供たちが心の底から喜ぶこと」なのかもしれません。
大きな目標を掲げることがいいのは、辿り着くまでのプロセスにも意識的になれるところ。
それは、受験をパスするためだけに勉強するのと、目的があって勉強するのとでは
努力の質が変わってくることからも想像できると思います。
納得でき自分自身でも腑に落ちるので、プロセス自体も楽しめるようになります。
賞はあくまで通過点でしかなく、自分が掲げる目標にどれだけ近づいたのかが
評価基準になるってだいぶ健全なことではないでしょうか。
いまのところ自分が仕事において目指しているのは、Aboutにも書いているように
持続可能性 × 伝統 × 地域性
です。
デザインを通して社会がそのような方向に少しでも進んだらいいなあと思っております。
とりあえず今年はプロセス自体を楽しみながら仕事を進めていきたいです。
※和火のインスタやってます。
※ただいまブログの引越し中です。旧ブログをご覧になりたいかたはこちらにアクセス願います。