デザイナー樋口賢太郎が
綴る日々のことです
プロでもなく、スペシャリストでもなく
自分は職業としてグラフィックデザイナーを選んでおり、当然のことながらその世界では専門性がものを言う。
医者や弁護士などのような資格はないが、そのひとにしかできない仕事が最も価値を生むと考えるからだ。
技術的な面はもちろんのこと、総合的な表現として、あぁこのひとにしかできないなあという専門性は高いほうがいい。
書体への幅広い知識や卓越した造形力、色彩への敏感な感覚や時代の空気を的確に読むセンスなど、
あげていけばキリがないが、ふつうのひとにはできないであろう力を深めることが重要だと思われる。
そういった意味でデザイナーは、ジェネラリスト(総合職)でなく、スペシャリスト(専門職)と言えるだろう。
長年仕事を続けることで、駆け出しのころよりはデザインが上手になり、前はできなかったことができるようになる。
積み重ねることができるという意味で恵まれた職業なのかもしれない。
ただ最近、デザイナーはスペシャリストになってしまってはいけないのではないかと思っている。
もちろんある種の専門性に特化したスキルやノウハウは要るが、
狭い領域で力を発揮することが多いスペシャリストの特性は、デザイナーの素質とは相反するのではと考えるからだ。
デザインが消費されるマーケットはだいたい一般的な世間であり、特殊な狭い領域ではない。
ごくふつうの日本人(という表現はあまり好きではないがとりあえず)が
ごくふつうに求めるものをデザイナーは提供しないといけないので、専門性を掘り下げ過ぎると、
周りが見えなくなり、世間とズレていってしまう可能性が出てくる。
いわばオタク的に領域を深めていくのがスペシャリストだとすると
デザイナーには広くあまねく世間を見るジェネラリスト的な性質が必要不可欠になるだろう。
(話は逸れるが、年齢が上がるにつれて、世間の中庸なライフスタイルから離れていくことにもデザイナーは留意したほうがいい。
いまの世の中、スマホやアプリがあることが前提のコミュニケーションになっているので、
もしスマホを日常的に使わないデザイナーがいたとしたら、仕事をしていくのはけっこう厳しいだろう。
歳をとると腰が重くなり、変化の受け入れに億劫になりがちだが、時代についていけなくなったときがデザイナーとしての潮時だと思う。
逆に言うと、絶えず変化を受け入れて、ライフスタイルがズレなければ長く現役でいられる可能性が高い。
いっぽう研究職や芸術活動は世間とのズレのダイナミズムが価値を決めると考えている。
掘り下げ過ぎて、周りが見えなくなり、どこか浮世離れしてるひとほど、興味深い活動をしていることが多いと感じる)
閑話休題。
いまでも、大学時代の恩師である佐藤晃一先生が、先生の退職祝いの会のときに仰っていた言葉をよく思い出す。
「自分はたくさん仕事をしてきましたが、ずっといち素人としてグラフィックデザインに関わってきました」
おおまかにはこのような意味合いだったが、世界的なグラフィックデザイナーの言葉としてはとても意外だった。
それまでデザイナーとはプロフェッショナルを極めた職業だと思っていたのだ。
言わんとするところはおそらく、長くデザインに関わってきたが、プロの固定概念に囚われることなく、
常に新鮮な気持ちで仕事に向き合ってきた、ということだろう。
スペシャリストはおろかプロフェッショルであることからさえも自由だったのだ。
生涯ずっと一流どころで活躍されてきたにも関わらず、
遊ぶように仕事をし、はじめて接する子どものようにものごとに驚きながら、飄々とデザインをされたのだと想像する。
余裕があるというか、さすが偉大な才能のなせるわざで、中々おいそれとは真似できない。
自分はまだまだ未熟なので、いまの時点でプロフェッショナルであることを捨てるのは難しいが
スペシャリストにはならないように十分に気を付けようと思う。
以上今年の抱負でした。
※和火やってます。
※作家活動やってます。
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wh74or
卯年
年末年始の営業のお知らせ
下記の通り、休みをいただきます。
ご不便をおかけしますが、何卒ご理解いただきますようお願いいたします。
◎年末年始休業期間
2022年12月30日(金)~ 2022年1月5日(木)
すいせい
代表
樋口賢太郎
※和火やってます。
※作家活動のインスタやってます。
一瞬は永遠
その画家は言った。
一瞬は永遠だと。
一瞬が永遠になりうるのだと。
たかだか数十年しか生きていない人間の絵が何百年もの間、
人々を魅了し続けるのは不思議じゃないかい?
万物のエネルギーの法則からすれば、
費やした年数と消費される年数は同じになるはずなんだよ。
海に臨むアトリエは絵筆や描きかけの作品などで散らかっていた。
窓の外では狂ったように草木が揺れ、横殴りの雨が降っている。
黙って聞いていると画家はさらに話を続けた。
絵筆を走らせていると、自分の能力以上の表現が出てくることがある。
時代を超越した普遍的な魅力とでも言うべきか。
その瞬間に起こるのは、生きてきた年数を遥かに超えた
永遠とも言える時間の定着なんだ。
つまり一瞬のうちに永遠を定着することができる。
だから寿命以上に絵が残ることはなんら不思議ではないんだよ。
話はぷつりとそこで終わった。
嵐が近づこうとしているのか、風雨はさらに激しくなり、
舞い上げられた砂が窓ガラスにあたるパラパラという音が聞こえてくる。
ビデオの早回しのようなスピードで移動していく暗雲を見ながら、
画家が再び口を開くのを待った。
※この記事は2016年9月に投稿した記事の再掲載です。
過去のデータベースにアクセスできなくなったので一部加筆修正して掲載しています。
※和火やってます。
※作家活動やってます。